七略
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目録学 |
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﹃七略﹄︵しちりゃく︶は、中国前漢の劉向・劉歆父子により編纂された、朝廷の蔵書目録。
﹃七略﹄自体は散佚して現存しないが、﹃漢書﹄芸文志の基礎部分として残っている[1]。あるいは類書などに引用されて佚文が残っている。
成立[編集]
初め、劉向は成帝時期の宮中の蔵書︵﹁秘書﹂︶を校閲し、その解題︵﹁叙録﹂︶を一書にまとめ、﹃別録﹄︵べつろく︶という書名を附した。劉向は、秘書を六芸・諸子・詩賦・兵書・術数・方技の六類に分類した。劉向自身が叙録を撰したのは、六芸・諸子・詩賦の三類のみであり、残り三類は、その道の専門家に委ねた。叙録には、編目、校書の経過、撰者の伝歴、書名の意、著作の由来、書物の内容と批判、偽書の分別、学派や評価などが記されていた。﹃別録﹄は佚して伝わらないが、一部の書物の叙録︵﹃戦国策﹄﹃荀子﹄﹃管子﹄﹃晏子﹄﹃韓非子﹄﹃列子﹄﹃鄧析子﹄の七編の叙録︶が残っている。劉向の死により、子の劉歆が引き継いだが、歆は父の﹃別録﹄を簡素化し、﹃七略﹄とした。内容[編集]
「目録学」も参照
図書分類法として七つの分類項目︵﹁略﹂︶によって構成されるため、﹁七略﹂と題される。但し、1番目の﹁輯略﹂は全体の総目的な項目であるため、実際の分類は六種分類である。また、後世の四部分類と比較すると、﹁六芸略﹂が﹁経部﹂、﹁諸子部﹂が﹁子部﹂、﹁詩賦略﹂が﹁集部﹂に相当する。また、﹁兵書略﹂﹁術数略﹂﹁方技略﹂は、四部分類では、兵家類や術数類などとして、﹁子部﹂に含まれる項目であり、それらの兵家や方術家が、漢代においては、諸子とは別に扱われていたことを示している。更に、劉向・劉歆の時代には、四部分類中の﹁史部﹂が、まだ独立していなかったことを示している。
(一)輯略
(二)六芸略
(三)諸子略
(四)詩賦略
(五)兵書略
(六)術数略
(七)方技略
﹃七略﹄の内容は、上記の七つの﹁略﹂の下に、﹁易家﹂や﹁書家﹂などの細分類を設け、各書物の書名・巻数などの事項を記していた。また、現在の﹃漢書﹄﹁芸文志﹂の各分類の冒頭に置かれる﹁小序﹂が、﹃七略﹄の﹁輯略﹂に当たるものと考えられている。