三輪茂雄
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みわ しげお 三輪 茂雄 | |
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生誕 |
1927年7月19日 日本 岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市) |
死没 | 2007年10月22日(80歳没) |
出身校 | 名古屋大学 |
職業 | 工学者 |
経歴
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1927年︵昭和2年︶に岐阜県養老郡上石津町︵現・大垣市︶下山に生まれた。1952年︵昭和27年︶に名古屋大学工学部応用化学科を卒業し、昭和電工株式会社に就職した。昭和電工でプラント設計などに従事する傍らで、1961年︵昭和36年︶には﹁篩分けに関する研究﹂で名古屋大学から工学博士を授与された。
1966年︵昭和41年︶には同志社大学工学部の助教授に就任し、1967年︵昭和42年︶に工学部教授に就任した。1998年︵平成10年︶3月に定年で同志社大学を退任し、4月には同志社大学名誉教授となった。2000年︵平成12年︶7月から2003年︵平成15年︶7月には白石工業株式会社の監査役を務めた。2007年︵平成19年︶10月22日、心不全のため死去した。
功績
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専門分野である粉体工学のほかに、鳴き砂の研究でも知られ[2][3][4]、鳴き砂の浜の保全を呼びかけ続けた[5]。﹁鳴き砂博士﹂[1]、﹁鳴き砂の父﹂[6]などと呼ばれた。2001年︵平成13年︶に京都府竹野郡網野町︵現・京丹後市︶に開館した琴引浜鳴き砂文化館には、2008年︵平成20年︶に﹁鳴き砂の父 三輪茂雄先生之碑﹂が設置された[6]。
著書
[編集]- 『粉体のフルイ分け』日刊工業新聞社 1965
- 『粉粒体工学』朝倉書店 1972
- 『ふるい分け読本』産業技術センター 1974
- 『石臼の謎 産業考古学への道』みわしげを 産業技術センター 1975
- 『石臼探訪』みわしげを 産業技術センター 1978
- 『臼 ものと人間の文化史』法政大学出版局 1978
- 『粉と粒の不思議 先端技術を支える粉体の科学』ダイヤモンド社 サイエンス・ブックス 1981
- 『粉の秘密・砂の謎』平凡社 1981
- 『粉体工学通論』日刊工業新聞社 1981
- 『鳴き砂幻想 ミュージカル・サンドの謎を追う』ダイヤモンド社 1982
- 『白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密』同志社大学出版部 1983
- 『「粉」の文化史 石臼からハイテクノロジーまで』 (NHK市民大学) 日本放送出版協会, 1985.10
- 『粉の文化史 石臼からハイテクノロジーまで』新潮選書 1987
- 『粉の秘密・砂の謎』平凡社・自然叢書 1989
- 『篩 ものと人間の文化史』法政大学出版局 1989
- 『消えゆく白砂の唄 鳴き砂幻想』日本図書刊行会 1994
- 『粉と臼 日本を知る』大巧社 1999
- 『粉 ものと人間の文化史』法政大学出版局 2005
共著
[編集]- 『化学工学通論 第2』疋田晴夫,井伊谷鋼一共著 朝倉書店 1969
- 『粉体工学実験マニュアル』日高重助共著 日刊工業新聞社 1984
- 『粉がつくった世界』西村繁男絵 福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集 1995
脚注
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(一)^ ab“asahi.com‥鳴き砂博士の三輪茂雄・同志社大名誉教授が死去 - 関西”. www.asahi.com. 2019年7月7日閲覧。
(二)^ “鳴き砂 : 略歴”. bigai.world.coocan.jp. 2019年7月7日閲覧。
(三)^ “他叙伝︵自叙伝ならざる︶”. bigai.world.coocan.jp. 2019年7月7日閲覧。
(四)^ ﹃現代日本人名録﹄
(五)^ 三輪茂雄 (1994). 消えゆく白砂の唄 鳴き砂幻想. 近代文藝社
(六)^ ab﹁﹃鳴き砂の父﹄功績たたえる 京丹後に記念碑﹂﹃朝日新聞﹄2008年10月19日