世尊寺跡
世尊寺跡︵せそんじあと︶は、かつて奈良県吉野町吉野山子守に存在した寺院の跡。寺院は吉野水分神社の北に位置し、現在の花矢倉展望台付近にあったとされる。
世尊寺は吉野山金峯山寺の塔頭で、釈迦如来を本尊とし、山号を鷲尾山と号した。寺跡には僅かに梵鐘︵重要文化財︶と人丸塚と呼ばれる石造物が残る。和州芳野山勝景図によれば、境内には﹁子守塔﹂と呼ばれる宝塔があったようである。明治の神仏分離により荒廃して廃寺となったが、本尊の釈迦如来立像は、金峯山寺の蔵王堂に安置され、本尊の脇侍であった阿難、迦葉尊者像は同寺の観音堂に安置されている。また、世尊寺旧蔵の天照大神像、戎神像は大阪今宮戎神社、童形神坐像︵伝・聖徳太子像︶は吉野山内の竹林院に保管されている。以上の仏像・神像はいずれも鎌倉時代の作である。[1]
梵鐘[編集]
世尊寺跡に残る梵鐘は﹁吉野三郎﹂と通称される。永暦元年︵1160年︶の鋳造。鐘身の高さ160cm、竜頭を含む総高207cm、口径123cmの大型鐘である。鐘身は上部の径が小さく、裾広がりの形態を呈する。上帯と下帯には唐草文を鋳出する。池の間には陽鋳と陰刻による銘があり、その内容は永暦元年︵1160年︶の鋳造時の銘、保延6年︵1140年︶に鋳造された旧鐘の銘の写し、及び寛元2年︵1244年︶に竜頭を修理した際の銘︵陰刻︶に分かれる。銘文によれば、保延6年︵1140年︶に平忠盛が熟銅を施入し鋳造させたものであったが、鐘声が小さいことから、20年後の永暦元年︵1160年︶に改鋳したものである。さらに、寛元3年︵1245年︶に竜頭部分の鋳継ぎをしている。制作年代の明らかな平安時代末期の梵鐘として稀有のものであり、重要文化財に指定されている︵世尊寺は廃寺となっているため、所有者は本山の金峯山寺となっている。1959年︵昭和34年︶6月27日に指定︶。現在はコンクリート製の鐘楼に収められている。[2] 本鐘は俗に﹁奈良太郎﹂︵奈良・東大寺の鐘︶、高野二郎︵高野山金剛峯寺大塔の鐘︶と併せ、﹁吉野三郎﹂と称される︵唐から日本へ運ぶ途中に海に沈んだという巨鐘を﹁海に太郎﹂と呼び、﹁海に太郎、奈良次郎、吉野三郎、高野四郎﹂と称する場合もある︶。人丸塚[編集]
案内板によれば、正体不明の仏像石で、かつてあった五輪塔か何かの一部だろうと考えられている。人丸塚の名称の由来も不明で、この石に願をかけると子供に恵まれるので﹁人生まる塚︵ひとうまるつか︶﹂とか、火を防ぐ呪力を秘めているので﹁火止まる塚︵ひとまるつか︶﹂とも伝えられている。アクセス[編集]
近鉄吉野線吉野駅下車。吉野ロープウェイに乗り換えて吉野山駅から徒歩約1時間30分。 花矢倉より南、吉野展望台の南側にある小高い丘の中腹に﹁梵鐘﹂、山頂に﹁人丸塚﹂がある。︵吉野展望台の入口に案内板が設置されている︶ 位置‥北緯34度21分19.8秒 東経135度52分19.4秒 / 北緯34.355500度 東経135.872056度脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『解説版 新指定重要文化財 4 工芸I 』、毎日新聞社、1981
- 坪井良平『新訂 梵鐘と古文化』、ビジネス教育出版社、1993
- 大阪市立美術館編『祈りの道 吉野・熊野・高野の名宝』(特別展図録)、2004