出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世田谷区立砧中学校︵せたがやくりつきぬたちゅうがっこう︶は、東京都世田谷区成城にある公立中学校。略称﹁砧中︵きぬちゅう︶﹂。
1975年には足立区立第五中学校の40学級1699人に次いで東京都区部で2番目に学級数の多い36学級1480人となり、プレハブ校舎を継ぎ足して急場をしのいだ。このため世田谷区教育委員会が砧南小学校に隣接した14000平方メートルを1975年5月に買収[1]、1977年に砧南中学校が設置された。
この一帯には喜多見古墳群が構成され、砧中学校古墳群として前方後円墳、円墳などが10基内外あったが砧中学校や東横学園小学校の学校建設のため破壊され現在1基が学校の敷地の一角に残るのみである[2]が、砧中学校は学校敷地内に古墳が存在する珍しい中学校となっている。古墳は全長67メートルで、多摩川流域では最大の前方後円墳である砧中学校7号古墳の本格調査が1980年7月11日より行われた。同古墳は1942年に学習院大学の史学グループが発掘していた[3]。
砧中学校は、世田谷区立山野小学校、世田谷区立砧小学校、世田谷区立明正小学校の生徒の進学先である。
- ^ 砧南中、早期開校を 過密解消に父兄が要望 読売新聞 1975年6月15日 朝刊16ページ
- ^ “砧中学校古墳群について”. 世田谷区教育委員会. 2011年5月7日閲覧。
- ^ 砧中学校7号古墳 初めて本格調査 世田谷区教委 読売新聞 1980年7月12日朝刊20ページ
- ^ 卒業式が燃えちゃった その未明、中学校不審火 式場の体育館焼く 世田谷砧中 読売新聞 1979年3月19日 夕刊11ページ
- ^ "燃えた卒業式"生徒の放火「きらいな先生に報復」読売新聞 1979年4月30日 朝刊23ページ
関連項目[編集]
外部リンク[編集]