久次米兵次郎
表示
九代 久次米 兵次郎︵くじめ ひょうじろう、1829年6月12日︵文政12年5月11日︶ - 1913年︵大正2年︶3月3日︶は、日本の銀行家。藍商人︵染織家︶。阿波国名東郡新居村︵現・徳島県徳島市不動北町︶出身。幼名は国太郎。
経歴[編集]
1829年︵文政12年︶に阿波藍商人である八代久次米兵次郎・義簡の子として生まれる。1869年︵明治2年︶、40歳で家督を相続し九代久次米兵次郎を名乗る。 1879年︵明治12年︶に一族が築き上げてきた経済力を基に名東郡船場町︵現徳島市西船場町︶に日本で6番目の私立銀行である久次米銀行︵後の阿波銀行︶を設立。資本金は50万円で、当時は三井銀行に次いで第2位の規模であった。 久次米家は真言宗の檀徒であったが、1882年︵明治15年︶に、麻布区北日ヶ窪︵現港区六本木︶の土地を、曹洞宗宗立専門学校が購入するに際して、その購入資金をほぼ全額援助した[1]。同校は、﹁曹洞宗大学林﹂、﹁曹洞宗大学﹂と名称を変更し、没年の1913年︵大正2年︶に、駒沢へ移転し、駒澤大学となった。 1887年︵明治20年︶に商社﹁久次米商会﹂を設立。 しかし1890年︵明治23年︶に金融恐慌の影響もあり久次米銀行は破綻。1898年︵明治31年︶に九次米銀行は事実上消滅した。その後、九次米銀行の関西部門を継承した合名会社・阿波銀行が負債を決済、阿波商業銀行︵現阿波銀行︶として再生する。栄典[編集]
脚註[編集]
参考文献[編集]
- 高嶋雅明「久次米銀行の分析―木材問屋の銀行経営―」
- 真貝宣光「阿波藍商の経営展開とその崩壊―久次米兵次郎家の場合―」(徳島地方史研究会編『阿波・歴史と民衆II』)
外部リンク[編集]
- 『久次米兵次郎』 - コトバンク
- 『久次米兵次郎(9代)』 - コトバンク