乾道 (宋)
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乾道(けんどう)は、中国・南宋時代に孝宗の治世で用いられた元号。1165年 - 1173年。
西暦等との対照表[編集]
乾道 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 |
西暦 | 1165年 | 1166年 | 1167年 | 1168年 | 1169年 | 1170年 | 1171年 | 1172年 | 1173年 |
干支 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 | 己丑 | 庚寅 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 |
金 | 大定5年 | 大定6年 | 大定7年 | 大定8年 | 大定9年 | 大定10年 | 大定11年 | 大定12年 | 大定13年 |
西夏 | 天盛17年 | 天盛18年 | 天盛19年 | 天盛20年 | 天盛21年 | 乾祐元年 | 乾祐2年 | 乾祐3年 | 乾祐4年 |
出来事[編集]
●乾道元年 ●正月元日‥即日改元。 ●正月9日‥金と和約を結ぶ︵2度目︶。両国関係は叔姪と定め、金に送る歳貢の名称を歳幣に改める。歳幣の内容として、銀は5万両減らして20万両、絹は5万匹減らして20万匹となる。国境は従来通り淮水から大散関に至る境界線を維持する。 ●8月7日‥郴州の渓峒蛮の反乱が平定される。 ●9月29日‥淮水沿いの諸州に都巡検が設置される。 ●乾道2年 ●6月3日‥両浙路の市舶司を廃する。 ●11月9日‥内蔵庫の銀をすべて放出して会子に換える。 ●乾道3年 ●正月11日‥三省戸房国用司が設置される。 ●乾道4年 ●正月19日‥秦檜の子孫に与えられた蔭補を剥奪する。 ●3月22日‥使用期限と額面価格を定めた新会子の発行が始まる。 ●5月25日‥乾道暦が施行される。 ●7月‥西夏の密使が四川に来て西藩を挟撃することを提案したが、実現しない。 ●7月10日‥沿江水軍制置司を廃する。 ●乾道5年 ●2月21日‥国用司を廃し、その業務は三省戸房に帰する。 ●8月6日‥虞允文が尚書右僕射・同平章事となる。 ●11月‥広東の水軍を増強し、明州定海県の水軍を御前水軍とする。 ●乾道6年 ●正月2日‥雅州の沙平蛮が辺境を侵寇する。 ●3月‥三省・枢密院の官吏を減らす。 ●4月1日‥鋳銭司を廃するが、翌年に復する。 ●5月4日‥六部の官吏を減らす。 ●9月15日‥蘇軾に﹁文忠﹂の諡が贈られる。 ●12月28日‥発運司を廃する。 ●乾道7年 ●2月19日‥寺院・道観の税役免除を撤廃する。 ●3月1日‥宋が金に国書の受付のための礼式を改めることを求めたが、断られる。 ●乾道8年 ●正月元日‥﹃乾道勅令格式﹄が公布される。 ●2月6日‥尚書僕射・同平章事の官名を丞相に改める。 ●9月‥明州知州の趙伯圭を通じて日本に国書と贈り物が送られる︵日宋貿易︶。 ●9月12日‥虞允文が自ら請うことにより四川宣撫使に赴任する。 ●乾道9年 ●2月12日‥黎州の青羌が乱を起こす。 ●3月2日‥金との国境地帯にて銀・絹の交易を禁ずる。 ●8月16日‥水利の振興を勧める詔勅が出る。 ●10月28日‥金の賀生辰使が国書の受付をめぐる摩擦のため返る。 ●11月9日‥翌年より﹁淳熙﹂へ踰年改元の詔が下る。関連項目[編集]
●元号一覧 (中国) ●他政権の乾道前の元号 隆興 |
中国の元号 南宋 |
次の元号 淳熙 |