交響曲第2番 (スクリャービン)

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(一)4/4調

(二)6/8調

(三)6/8調

(四)12/8調

(五)4/4調

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「何という交響曲。それにしても何たる代物であろうか? スクリャービンの後ではワーグナーすら乳呑み児のように舌足らずだ。僕は頭がいかれちまいそうだ。なのにこの音楽から逃げ場がないとは。助けてくれ!」

と述べている。一方、(モスクワ音楽院で作曲の教師として学生時代のスクリャービンに落第点をつけた張本人である)アントン・アレンスキーは、セルゲイ・タネーエフ宛ての私信で、次のように扱き下ろして見せた。

「プログラムに『第2シンフォニー』と謳っているのは看板に偽りありだと思います。正しくは、『第2カコフォニー』と刷るべきでした。この“作品”とかいうやつには、まるで協和音がなさそうですからね。不協和音が、てんで出鱈目にどんどん積み重ねられて、30分から40分かけて静寂を打ち壊すんです。何だってリャードフは、こんなお笑い種を指揮したものか、皆目見当がつきません。僕は気晴らしを求めて演奏会に行ったんです。グラズノフは来てませんでした。リムスキー=コルサコフに意見を訊いたら、『これほどの諧音を貶す人の気が知れない』と言われましたがね。」

後にスクリャービンが、より前衛的な方向に進んでからは、一転して独創性に乏しい凡作として評価されるようになった。 旧知のモデスト・アルトシュラーからニューヨーク初演を持ち掛けられたとき、スクリャービンは次のように答えて提案を断わっている。

「作曲したときには気に入っていた曲ですが、今となっては満足できません。……終楽章が陳腐なもので。」

いずれは終楽章を書き換えることも計画していたといわれるが、結局はそれも実現せぬままに終わった。

ミハイル・カルヴォコレッシは、1907年5月にパリの晩餐会で作曲者本人とグラズノフと同席した際、前日にアルトゥール・ニキシュの指揮で上演された《第2番》が話題になったことについて、1933年の回想録の中で触れている。

「スクリャービンは気さくに話しかけてきて、『あれは駄作でしてね』と口走った。筆者もその通りだと思っていたので、さすがにバツが悪くなり、どっちつかずの口ごもりで誤魔化してしまった。やおらグラズノフが小声で耳打ちしてきた。曰く、『それじゃあ彼は傷ついちまうよ。反論してくれると当てにしてたろうにさ』。」

註釈[編集]

参考資料[編集]

  • 海老沢敏ほか(監修)『最新名曲解説全集 補巻 第1巻 (交響曲・管弦楽曲・協奏曲)』音楽之友社、1982年2月。ISBN 4276010314
  • フォービオン・バウアーズ『アレクサンドル・スクリャービン : 生涯と作品』佐藤泰一(訳)、泰流社〈叢書ムジカ・ゼピュロス〉、1995年3月。ISBN 4-8121-0105-0
  • 佐野光司(スクリャービン:交響曲第2番[東芝EMI: TOCE-6403]の解説文)
  • Ates Orga: on SCRIABIN, Symphony No. 2 (Naxos : 8.553581)
  • Faubion Bowers: Foreword (on SCRIABIN Symphony No. 2, 1973, Ernst Eulenburg Ltd., London)

外部リンク[編集]