仙台市立立町小学校
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仙台市立立町小学校 | |
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北緯38度15分42秒 東経140度51分49秒 / 北緯38.26167度 東経140.86361度座標: 北緯38度15分42秒 東経140度51分49秒 / 北緯38.26167度 東経140.86361度 | |
過去の名称 | 第七大学区第一中学区第七番小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 仙台市 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)7月7日 |
開校記念日 | 7月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B104221010038 |
所在地 | 〒980-0822 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
仙台市立立町小学校︵せんだいしりつ たちまちしょうがっこう︶は、宮城県仙台市青葉区立町にある公立小学校である。
概要[編集]
仙台市において、初めて設立された小学校の1つであり、仙台城下・御譜代町に起源をもつ立町︵たちまち︶に位置する。130年以上の歴史を持つものの、近年は児童数の減少が著しい[1]。歴史[編集]
1873年︵明治6年︶7月7日、﹁︵第七大学区第一中学区︶第七番小学校﹂として、立町330番地に開校した[2]。開校時の児童数は272名、仮教師3名であり、下級8級に編成され、読書、算術、習字の3教科が教授されていた[2]。1876年︵明治9年︶から1879年︵明治12年︶までは、﹁啄玉小学校︵たくぎょくしょうがっこう︶﹂という校名で呼ばれていた[2]。 1894年︵明治27年︶、元柳町︵校地の跡地は西公園野球場→花見広場の一部︶に新築移転[2]。1949年︵昭和24年︶、従前の校地と西公園前交差点を挟んで斜向かいの立町70番地︵現在地︶に新築移転[2]。 児童数は1907年︵明治40年︶以降 1,000名を越えるようになり、1944年︵昭和19年︶には歴史上最多となる1,918名に達した[1]。戦後には、1960年代から1970年代までは、全校児童数1,000名前後で推移していたが、1980年代以降には漸次減少、1997年︵平成9年︶には500人を割り込み︵489名︶、2006年︵平成18年︶には300名を下回った︵268名︶[1]。2009年︵平成21年︶度現在、全校児童数は、男子 119名、女子 129名、合計248名となっている[1]。2021年の児童数は201人、10学級、教職員20人[3]。受賞など[編集]
●1941年︵昭和16年︶11月 大東亜音楽コンクール 優勝[2] ●1959年︵昭和34年︶11月 唱歌ラジオコンクール全国大会 第1位[2] ●1965年︵昭和40年︶10月 NHK合奏コンクール 全国優良校[2] ●1971年︵昭和46年︶10月 宮城県小中高音楽発表会︵合奏︶ 最優秀賞[2] ●1987年︵昭和62年︶9月 東北放送主催 ﹃こども音楽コンクール仙台大会﹄ 優秀賞[2] ●1988年︵昭和63年︶11月 東北放送主催 ﹃こども音楽コンクール仙台大会﹄ 優秀賞[2] ●1990年︵平成2年︶1月 研究論文 ﹃学校教育における博物館利用学習﹄が教育公務員弘済会受賞[2] ●1991年︵平成3年︶1月 東北放送主催 ﹃こども音楽コンクール仙台大会﹄ 優秀賞[2] ●1997年︵平成9年︶8月 吹奏楽コンクール宮城県大会 金賞[2] ●2003年︵平成15年︶11月 PTA優良賞表彰︵文部科学大臣︶[2]その他[編集]
立町小学校の卒業生には、﹃荒城の月﹄の作詞などで知られる詩人、英文学者である土井晩翠がおり、校内には土井の胸像があるほか、2003年︵平成15年︶9月9日には﹁土井晩翠校歌資料室﹂[4]が設けられた。 現在の校歌も土井が作詞したものであり、﹁仰げば高し天守台 俯せば流れも広瀬川 桜が丘にとなり合う・・・﹂と[5]、仙台城址、広瀬川、桜ヶ岡︵西公園︶という、立町の周辺環境を表した歌詞で始まる。 土井が転校してきた1880年︵明治13年︶当時の立町小学校には仙台師範学校を卒業した和田経重︵後の漢詩人井土霊山︶が訓導として奉職していた。[6]脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 仙台市立立町小学校 仙台市教育センター