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以酊庵

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脚注[編集]

  1. ^ 玄蘇が朝鮮の李志完に送った書状(景轍玄蘇『仙巣稿』巻下所収、慶長14年4月15日付の書状)に「自分の生年は天文丁酉年で、丁酉両字を合わせて“(以)酊庵”と号した」との旨が記載されている(田中、1996年、P137)。
  2. ^ 「五山碩学」制度自体は、徳川家康が京都五山の禅僧の学問を奨励するために別途手厚く保護されていた南禅寺及び衰微していた万寿寺以外の4寺院の禅僧を対象に碩学料を支給したことに由来している(田中、1996年、P142-143・150-154)。

参考文献[編集]

  • 『厳原町史』 厳原町誌編集委員会、1997年
  • 田中健夫『前近代の国際交流と外交文書』吉川弘文館、1996年、第五章「朝鮮以酊庵の研究」
  • 北島万次「以酊庵」『日本史大事典 1』平凡社、1992年
  • 米谷均「以酊庵」『日本歴史大事典 1』小学館、2000年
  • 今枝愛真「以酊庵」『対外関係史辞典』吉川弘文館、2009年
  • 中村栄孝「以酊庵輪番制」『対外関係史辞典』吉川弘文館、2009年

外部リンク[編集]