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伊崎寺

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伊崎寺の本堂

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201527424  [2]

概要

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西

歴史

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13[1]

859876[1][1]

境内

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山門

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琵琶湖岸の船着場からの階段の上部にある山門

かつてこの地は琵琶湖と大中湖に囲まれ、船でしか参詣できず東岸に船着場があった。山門はその船着場に向けて建てられており、扁額には伊崎寺の山号「姨倚耶山(いきやさん)」が揮毫されている。

本堂

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現在の本堂は1813(文化15)年に建てられたもの。伊崎寺の本堂は何度も焼失・再建を繰り返してきた。

本尊は木造不動明王坐像。1732(享保17)年、泉州堺住の仏師4名による作。2011(平成23)年に仏師・松本明慶師によって修復が完成し、開眼供養が奉修された。

棹飛び堂

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棹飛び堂

本堂の北、琵琶湖を見下ろす断崖絶壁の上の巨岩に張り付くように建っている。役行者が巨岩を不動明王であると感得し、本尊として祀るため建立したといわれる。後述の「伊崎の棹飛び」が行われる。

文化財

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重要文化財

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木造不動明王坐像(附:木造二童子立像)
像高85.4センチ。頭体の主要部を一木から木取りし、これに体側、両脚部などに別材を矧ぐ。「伊崎寺縁起」によれば、相応和尚が葛川明王院の三の滝で修行中に不動明王を感得、歓喜して抱きついた葛(かつら)の木を三つに切って不動明王を造像し、葛川明王院、比叡山無動寺、そして伊崎寺へ祀ったという。実際の造像は、作風・技法等からみて、相応の時代よりやや下って、平安時代中期、10世紀末頃とみられる。両眼を大きく見開き、下の歯で上唇を噛み、牙を上方に突出させるなど、図像的には他の不動明王像にみられない特色があり、感得像(修行などの宗教体験を通じて、仏などの姿形を得て造った像)の一種とみられる。6か所で括る弁髪の形状も独特である。なお、本像と一具をなす二童子像は補修が多いことから、重要文化財の附(つけたり)指定となっている。[3]
2006(平成18)年に国の重要文化財に指定され、現在は比叡山延暦寺の国宝殿に収蔵されている。

市指定文化財

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  • 木造天部形立像
  • 木造帝釈天立像
  • 木造聖観音立像[4]

伊崎の棹飛び

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棹飛堂の下にある竿

81[5]13 m竿竿7 m[6]1100[6]153435516[5]

81200020051781624[7]20071981[8][6]

脚注

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(一)^ abcde竿.  . 20221027

(二)^ .  . 2020920

(三)^ 5132006pp.15 - 16

(四)^  

(五)^ ab 2019, p. 202.

(六)^ abc . . . (201981) 

(七)^ 200581728

(八)^ 20078228

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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