コンテンツにスキップ

伴大納言絵詞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伴大納言絵巻から転送)
伴大納言絵詞(部分、応天門炎上)
伴大納言絵詞(部分、火事場に駆けつける群衆)


[]


3001177[1]



(一)

(二)

(三)

(四)使



使19823019832016

[]






(一)

(二)

(三)

(四)

[]


520101980[2]X調

[]


[3]

[]


調調

使殿姿使
  • 伴善男説 - 福井利吉郎(『絵巻物概説』、1933)、上野直昭(『絵巻物研究』、1950)、黒田日出男(『謎解き伴大納言絵巻』、2002)
  • 源信説 - 小松茂美(『日本絵巻大成2』、1977)、倉西裕子(『古代史から解く伴大納言絵巻の謎』、2009)
  • 頭中将(藤原基経)説 - 田中豊蔵(『日本美術の研究』、1960)

中巻[編集]

(詞書の大意)左大臣は何も悪いことをした覚えがないのに、こうして無実の罪をきせられることを嘆き、自邸の庭に荒薦(あらごも)を敷き、束帯姿の正装で天の神に無実を訴えた。そこへ、馬に乗って赦免の使者がやってくる。「いよいよ処罰されるのか」と早とちりした左大臣家の人々は家じゅう悲しみ叫ぶが、左大臣は赦免されるのだと知って、今度はうれし泣きすることおびただしい。左大臣は、「宮仕えをしていれば、こうして無実の罪に当たることもあるのだ」と思い、宮仕えにも精勤しなくなってしまった。

左京五条のあたりに住んでいた右兵衛の舎人という者がいた。去る年の秋の頃、舎人が役所の仕事を終えて、夜遅く家に帰ろうとして、応天門の前を通りかかった時のことだ。門に人の気配とひそひそ声がする。舎人が回廊のかげに隠れて見ていると、門の楼上から降りてきたのは伴大納言ではないか。続いて、大納言の子と雑色の「とよきよ」[4]という者も降りてきた。「一体何をやっているのだろう」と、わけもわからずに見ていると、この3人は南の朱雀門の方へ走り去った。舎人もその場を離れ家路につくが、二条堀川のあたりまで来ると、「宮中が火事だ」と騒ぐ声がする。振り返って見ると火事は内裏の方らしい。走り戻って見ると、応天門が燃えているではないか。舎人は「さきほどの人々は放火のために門に上っていたのか」と思ったが、口には出さずにいた。「左大臣が犯人として処罰されるようだ」という話を聞いて、舎人は「真犯人は他にいるのに、なんということだ」と思ったが、かわいそうにと思いつつも口外はできずにいた。その後、左大臣が赦免されたと聞くと、舎人は「無実の罪はいずれ晴れるものなのだ」と思った。

そうこうするうちに9月頃になった。舎人の子どもと、隣家に住んでいる伴大納言の出納の子どもとが喧嘩をしていた。舎人は喧嘩を止めようと家から出てきた。そこへ伴大納言の出納も家から飛び出してきた。出納は、自分の子どもを家に入れ、舎人の子どもの髪をつかみ、打ち伏せて、死ぬばかりに踏みつけた。

舎人「子ども同士の喧嘩ではないか。うちの子どもだけを死ぬほど踏みつけるとは何事か」。
出納「舎人ふぜいが何をぬかすか。おれの主君の大納言様がいる限り、おれが何をしようと何のお咎めもないさ」
舎人「主人の大納言が偉いとでも思っているのか。おれが黙っているからお前の主人も人並みにしていられるのだ。おれが口を開いて大納言の秘密をばらせば、大納言はただではすまないのだぞ」

怒った出納は家に入ってしまった。

下巻[編集]


調

調

脚注[編集]



(一)^ 21987

(二)^  20101018

(三)^ 
21987

2002

(四)^ 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]