佐羽淡斎
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佐羽 淡斎︵さば たんさい、1772年︵安永元年︶- 1825年8月17日︵文政8年7月4日︶︶は、江戸時代の漢詩人、商人。名は芳、字は蘭卿、号は淡斎・風月主人[1]。
概要[編集]
上野桐生の絹買次商である佐羽吉右衛門の4男として生まれ、若い頃から漢詩に熱中した[1]。1810年︵文化7年︶、初代吉右衛門の後を継いで2代目吉右衛門を名乗り、桐生随一の絹買次商となった[1]。淡斎は利益を独占せずに広く困窮者に施しただけでなく[2]、その財力を生かして、亀田鵬斎・大窪詩仏・市河寬斎・山本北山・菊池五山・柏木如亭といった漢詩人のパトロン的役割を果たした[1]。 淡斎の詩は南宋の三大家︵陸游・笵成大・楊誠斎︶からの尋章摘句というべき作風と評される[3]。一方で、白話小説に通じる一面もあった[3]。 群馬県立女子大学で佐羽淡齋研究会が活動している[4]。脚注[編集]
(一)^ abcd新谷雅樹﹁ある江戸人の異文化理解(二) : 佐羽淡斎(一七七二~一八二五)の総宜楼の詩碑をめぐって﹂﹃神奈川県立国際言語文化アカデミア紀要﹄第2巻、神奈川県立国際言語文化アカデミア、2013年、143-164頁、doi:10.20686/academiakiyou.2.0_143。
(二)^ 新谷雅樹﹁百年、畢竟、これ行旅 : 桐生の詩人・佐羽淡斎の﹁総宜楼﹂詩碑をめぐって﹂﹃藝文研究﹄第102巻、慶應義塾大学藝文学会、2012年6月、21-41頁。
(三)^ ab新谷雅樹﹁ある江戸人の異文化理解(一) : 佐羽淡斎(一七七二~一八二五)の総宜楼の詩碑をめぐって﹂﹃神奈川県立国際言語文化アカデミア紀要﹄第1巻、神奈川県立国際言語文化アカデミア、2012年、39-54頁、doi:10.20686/academiakiyou.1.0_39。
(四)^ 群馬県立女子大学文学部国文科佐羽淡齋研究会﹁﹃淡齋百律﹄全譯註稿︵中Ⅰ︶﹂﹃群馬県立女子大学紀要﹄第41巻、群馬県立女子大学、2020年2月、43-65頁、CRID 1050569247289520000、ISSN 0285-9432、NAID 120007009080。