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大窪詩仏

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七行絶句三行草書「残雪不消猶待伴」

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蔵書印[編集]

  • 詩聖堂図書記

刊行物一覧[編集]

詩集[編集]

  • 『卜居集』(寛政5年)
  • 『詩聖堂百絶』(寛政12年)
  • 『詩聖堂詩集初編』(文化7年)
  • 「詩仏百絶」(『今四家絶句』収録(文化12年))
  • 『西遊詩草』(文政2年)
  • 『北遊詩草』(文政5年)
  • 『再北遊詩草』(文政8年)
  • 『詩聖堂詩集二編』(文政11年)
  • 『二島遊草』(天保2年)
  • 『詩聖堂詩集三編』(天保9年)

啓蒙書[編集]

  • 『詩聖堂詩話』(寛政11年)
  • 『放翁先生詩鈔』(享和元年)中野素堂、山本緑陰とともに校定
  • 『宋詩礎』(享和3年)
  • 『宋三大家絶句』(享和3年)山本緑陰と共編
  • 『石湖先生詩鈔』(文化元年)山本緑陰とともに校定
  • 『唐宋箋注聯珠詩格』(文化元年)
  • 『佩文韻府両韻便覧』(文化2年)山本緑陰とともに校定
  • 『方秋厓詩鈔』(文化2年)佐羽淡斎とともに校定
  • 『楊誠斎詩鈔』(文化4年)山田伯方らとともに校定、楊万里の詩集
  • 『詩学自在』(文化6年)
  • 『広三大家絶句』(文化9年)
  • 『清新詩題』(文政2年)
  • 『随園女弟子詩選』(天保元年)

戯作[編集]

  • 『茶寮図賛』(享和3年)

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門弟[編集]

交友[編集]

子孫[編集]

参考文献[編集]

  • 揖斐高注解 『市河寛斎・大窪詩仏 江戸詩人選集5』(岩波書店、1990年、再版2001年)
  • 鈴木碧堂 『大窪詩仏』(1937年)
  • 三村竹清 「大窪詩仏の思ひ出」(『書苑』(1938年))
  • 今関天彭 「大窪詩仏」上・下(詩誌『雅友』1960年)-『江戸詩人評伝集1』に収録(揖斐高編、平凡社東洋文庫、2015年) 
  • 揖斐高 「詩仏年譜考——化政期文人の交遊考証 1-6」、(『国文白百合』、『成蹊国文』)
  • 清水礫洲 『ありやなしや』 彩雲閣、明治40年(1907年)

関連項目[編集]

  1. ^ この出自が後の秋田藩(久保田藩)佐竹家への出仕などにもつながっていると考えられる。
  2. ^ 江戸期の大名家は藩主とその妻子だけでなく相当数の家臣や商人なども江戸に来ていたため、 彼らを介するなどして故郷から遠く離れた縁者同士が近況確認やつながりを保つことが立場や環境によっては必ずしも難しくはなかった。 詩仏のような人物であればなおさらである。