佐賀県立神埼高等学校
佐賀県立神埼高等学校 | |
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北緯33度18分22.0秒 東経130度21分53.0秒 / 北緯33.306111度 東経130.364722度座標: 北緯33度18分22.0秒 東経130度21分53.0秒 / 北緯33.306111度 東経130.364722度 | |
過去の名称 | 佐賀県立神埼高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀県 |
学区 | 東部学区 |
校訓 | 至誠・尚学・進取 |
設立年月日 | 1929年 |
創立記念日 | 5月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D141290000116 |
高校コード | 41114A |
所在地 | 〒842-0002 |
佐賀県神埼市神埼町本告牟田3076番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀県立神埼高等学校︵さがけんりつ かんざきこうとうがっこう︶は、佐賀県神埼市神埼町本告牟田に所在する県立高等学校。
文部科学省の学力向上フロンティアハイスクールに指定されている。
神埼町田道ヶ里の旧校地
●1929年︵昭和4年︶ - ﹁佐賀県立神埼高等女学校﹂として開校。
●入学資格を尋常小学校を卒業した12歳以上の女子とし、修業年限を4年︵現在の中1から高1に相当︶とする。
●1931年︵昭和6年︶- 校舎が完成。
●1946年︵昭和21年︶4月1日 - 中等学校令の改正により、修業年限が5年に改められる︵ただし4年修了時点で卒業することもできた︶。
●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革が行われる。
●高等女学校の生徒募集を停止。
●新制の中学校を併設の上︵以下・併設中学校︶、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
●併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
●高等女学校の3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍した︵ただし4年修了時点で卒業することもできた︶。
●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 学制改革により、高等女学校が廃止され、新制高等学校﹁佐賀県立神埼高等学校﹂が発足。この時点では女子校であった。
●通常制普通課程・家庭課程︵全日制課程普通科・家庭科︶を設置。
●高等女学校卒業者︵5年修了者︶を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者︵3年修了者︶を新制高校1年生として収容。
●併設中学校は継承され、在校生が1946年︵昭和21年︶に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
●1949年︵昭和24年︶
●3月31日 - 併設中学校を廃止。旧制中等教育学校から新制高等学校への移行が完了する。
●4月1日 - 高校三原則に伴う公立高等学校再編により、男女共学となる。定時制を併置。
●1952年︵昭和27年︶4月12日 - 脊振分校︵全日制・定時制︶を設置。
●1953年︵昭和28年︶- 三瀬分教室︵農林科・家庭科︶を設置。
●1955年︵昭和30年︶5月1日 - 脊振分校を三脊分校に改称。
●1957年︵昭和32年︶4月1日 - 本校定時制の募集を停止。三脊分校を佐賀県立神埼農業高等学校へ移管。
●1960年︵昭和35年︶3月31日 - 本校定時制を廃止。
●1963年︵昭和38年︶4月1日 - 家庭科の募集を停止。
●1965年︵昭和40年︶3月31日 - 家庭科を廃止。
●1969年︵昭和44年︶- 新校舎が完成。
●1976年︵昭和51年︶10月25日 - 第31回国民体育大会開催の折、昭和天皇の行幸先の一つとなった[1]。
●2021年︵令和3年︶ - 神埼町本告牟田に現校舎が完成し移転[2]。
概要[編集]
歴史 1929年︵昭和4年︶開校の高等女学校を前身とする。1948年︵昭和23年︶の学制改革により、新制高等学校となった。2014年︵平成26年︶に創立85周年を迎えた。 設置課程・学科 全日制課程 普通科︵1学年あたり120名︵3学級︶︶ 校訓 ﹁至誠・尚学・進取﹂沿革[編集]
基礎データ[編集]
所在地[編集]
神埼市街地西側にあたる神埼市神埼町本告牟田に所在する。南に隣接して佐賀県立神埼清明高等学校がある[2]。両校は生徒減少に伴い2010年代に再編統合が検討されたが存置となり、隣接する校地で連携を強化する計画が発表されている[3]。 2021年までは田道ヶ里[2]の神埼市街地東側にあった。象徴[編集]
- 校章
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中央に﹁高﹂の文字を置いている。
校歌
作詞は古賀哲、作曲は井本喜代による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
行事[編集]
●神高祭部活動[編集]
運動部 ●野球部︵男子︶ ●2001年︵平成13年︶に甲子園へ春夏連続出場。当時の監督百崎敏克は後に佐賀北高で夏の全国制覇を果たす。 ●春の甲子園大会 - 2回戦‥小松島4-5 ●夏の甲子園大会 - 2回戦‥都立城東4-2、3回戦‥光星学院2-3 ●サッカー部︵男子・女子︶ ●陸上部 ●卓球部 ●バスケットボール部 ●ソフトテニス部 ●バレーボール部︵女子︶ ●剣道部 ●弓道部 ●ハンドボール部︵男子︶ ●カヌー部 文化部 ●吹奏楽部 ●放送部 ●書道部 ●美術部 ●カルチャー部 - 華道、茶道、手芸・調理著名な出身者[編集]
●松本茂幸 - 元神埼市長 ●實松尊徳 - 神埼市長 ●江頭2:50 - お笑いタレント ●田代奈々 - ラジオパーソナリティ ●野中信吾 - 元プロ野球選手︵日本ハムファイターズ - 横浜ベイスターズ - オリックス・バファローズ︶脚注[編集]
(一)^ 原武史﹃昭和天皇御召列車全記録﹄新潮社、2016年9月30日、146頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
(二)^ abc“神埼高校跡地、宅地などに活用 神埼市が方針 一部はヤクルトに売却”. 佐賀新聞 (2023年2月25日). 2023年6月15日閲覧。
(三)^ “﹁新たな生徒減少期に対応した佐賀県立高等学校再編整備実施計画︵第2次︶﹂︵案︶を策定しましたのでお知らせします”. 佐賀県 教育委員会事務局 教育総務課 (2016年10月11日). 2023年6月15日閲覧。