内野常次郎
内野 常次郎︵うちの つねじろう、1884年9月5日 - 1949年12月11日︶は日本の登山ガイド、猟師。岐阜県吉城郡上宝村中尾︵現高山市︶出身。1901年頃から上高地に住み、上条嘉門次に弟子入りした。﹁上高地の常さん﹂︵あるいは﹁常さ﹂︶の愛称で知られる。槇有恒、松濤明らと親交があった。秩父宮雍仁親王の登山ガイドの一人に選ばれている。勢津子妃を﹁オカミさん﹂と呼び、周囲がハラハラしたのに対して、秩父宮が﹁常さん、オカミさんでいいよ﹂と言ったエピソードが伝わる。晩年暮らした小屋の跡地︵北緯36度14分51秒 東経137度38分13秒 / 北緯36.247423度 東経137.63693度︶に﹁内野 常次郎 記念碑﹂が建てられている[1]。