冷泉為任
冷泉 為任︵れいぜい ためとう[1]、1914年︿大正3年﹀3月4日[2][1] - 1986年︿昭和61年﹀7月8日[1]︶は、日本の歌人。上冷泉家の第24代当主。旧名・西四辻 公順︵にしよつつじ きみまさ︶[2]。
生涯[編集]
西四辻公堯の次男として生まれる[2]。 昭和18年︵1943年︶1月18日に父公堯が薨去し、4月15日に家督を継承したが、ひと月も経たない5月13日に隠居した[2]。 上冷泉家第22代当主冷泉為系長男為臣が嗣子なくして1944年︵昭和19年︶8月31日に戦死し[1]、昭和21年︵1946年︶10月18日には為系も薨去した[1]。そこで娘の冷泉布美子に婿入りして上冷泉家を継承し、この時名前も公順から為任に改めた。実家の西四辻家も歌道の家であり、西四辻公業も藤原定家の流れをくむ二条派︵三条西家一門︶の歌人であった。 冷泉家先代の為臣から家宝の御文庫を引き継いでおり、1980年︵昭和55年︶には藤原定家自筆日記﹃明月記﹄を公開している[3]。また翌1981年︵昭和56年︶には、財団法人冷泉家時雨亭文庫を設立。これによって、冷泉家に伝わる古文書や典籍の調査研究がはじめられて、貴重な資料が公開されるようになった。系譜[編集]
﹃平成新修旧華族家系大成﹄下巻, pp. 325–326, 835–836を参照。- 父:西四辻公堯(1878 - 1943)
- 母:西四辻數子(1884 - 1964) - 薗広憲長女
- 養父:冷泉為系(1881 - 1946)
- 養母:冷泉恭子(1888 - 1970) - 水無瀬忠輔次女
- 妻:冷泉布美子(1916 - 2011) - 為系四女
脚注[編集]
- ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 835.
- ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 325.
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、254頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
参考文献[編集]
- 『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 西四辻公堯 |
子爵 西四辻家第4代 1943年 |
次代 西四辻公利 |