前田和三郎
前田 和三郎︵まえだ わさぶろう、1894年︿明治27年﹀7月28日[1] - 1979年︿昭和54年﹀8月17日[2]︶は、日本の整形外科医、医学博士、慶応義塾大学教授。
経歴[編集]
大阪市出身[1]。1920年京都帝国大学医学部卒[1]。卒業後は同大学の副手となる[1]。1922年に助手となり、翌年同大学院に入り、1925年学位を受け、講師となる[1]。1926年熊本医大︵現・熊本大学医学部︶教授兼整形外科医長となり、1928年慶應義塾大学医学部教授兼整形外科教室主任[1]。1948年医師国家試験委員。1951年立川病院長も兼任した[1]。この間文部省在外研究員として欧米に留学[1]。日本外科学会、日本整形外科学会、日本胸部外科学会、麻酔学会の各会長を務めた[1][2]。 また、横綱前田山英五郎の骨髄炎の手術をしたことでも知られ、当時﹁不治の病﹂といわれた骨髄炎を完治させたことにより、その恩義に感謝し、四股名を﹁佐田岬﹂から﹁前田山﹂に変えた話は有名。1959年から死去するまで横綱審議委員を務めた。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。