北条高家

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北条高家 / 名越高家
時代 鎌倉時代後期
生誕 不詳
死没 元弘3年4月27日1333年6月10日
別名 名越高家、名越尾張守
官位 尾張
幕府 鎌倉幕府評定衆
主君 守邦親王
氏族 名越流北条氏
父母 父:北条時家、母:不詳
兄弟 貞家周時高家
正室今川国氏の娘
高邦高範
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脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 系図によっては、時家と高家の間に北条貞家を挟むものもあるが、細川重男は年代的な理由からこれを否定する見解を示している[1]
  2. ^ 細川重男はこれを、この時期に名越氏が嫡流時章系以下、得宗の下に雌伏していた証と捉えている[4]

出典[編集]

  1. ^ 細川 2000, p. 49, 脚注(20)、巻末基礎表22「名越高家」.
  2. ^ 太平記』、『梅松論』。
  3. ^ 『太平記』巻第九「足利殿御上洛の事」、『梅松論』
  4. ^ a b 細川 2000, p. 32.

参考文献[編集]

  • 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』吉川弘文館、2000年。 

関連項目[編集]

先代
北条時家
名越流北条氏
第5代
次代
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