向井元升
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向井 元升︵むかい げんしょう、慶長14年2月2日︵1609年3月7日︶ - 延宝5年11月1日︵1677年11月25日︶︶は江戸時代の本草学者、医師である。著書に﹃庖厨備用倭名本草﹄などがある。
肥前国神埼郡酒村︵現 佐賀県神埼市︶に生まれた。もとの名は元松、晩年元升に改める。5歳で父、兼義とともに長崎に出て、医学を独学し、22歳で医師となる。慶安4年︵1651年︶、ポルトガルの棄教した宣教師クリストヴァン・フェレイラの訳稿を元に天文書﹃乾坤弁説﹄を著し、承応3年︵1654年︶幕命により、蘭館医ヨアン︵Hans Joan︶から通詞とともに聞き取り編集した、﹃紅毛流外科秘要﹄5巻をまとめた。万治元年︵1658年︶家族と京都に出て医師を開業した。寛文11年︵1671年︶加賀藩主前田綱紀の依頼により﹃庖厨備用倭名本草﹄を著した。﹃庖厨備用倭名本草﹄は、中国・元の李東垣の﹃東垣食物本草﹄などから食品460種を撰び、倭名、形状、食性能毒等を加えたものである。
長男は一条家の儒医の向井元端、次男は俳人の向井去来、三男は儒学者の向井元成である。
大正4年︵1915年︶、正五位を追贈された[1]。
参考文献[編集]
- 『日本博物学史』上野益三(著)平凡社(1986年補訂版)
- 『江戸の本草 薬物学と博物学』 矢部一郎(著)サイエンス社(1984年)
- 『南蛮系宇宙論の原典的研究』平岡 隆二(著)花書院(2013年)
- 「儒医向井元升と西洋医学・本草学の受容について」ヴォルフガング・ミヒェル(著)。若木太一編『長崎・東西文化交渉史の舞台』上巻、勉誠社 (2013年)、161-186頁
脚注[編集]
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.37