周防郁雄
すほう いくお 周防 郁雄 | |
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生誕 |
1941年1月11日(83歳) 日本・千葉県市原市 |
出身校 | 市川高等学校 |
職業 | 実業家 |
配偶者 | 進 美恵子(元妻) |
子供 |
周防彰悟(長男) 周防亮 |
周防 郁雄︵すほう いくお、1941年︿昭和16年﹀1月11日 - ︶は、千葉県市原市出身の日本の芸能プロモーター。バーニングプロダクション代表取締役社長[1]。
バーニングプロダクションの他、福家書店代表取締役社長、バンクス代表取締役、オフィスプロペラ取締役[2]、ファーンウッド取締役を兼務する。
巨大芸能グループ﹁バーニング﹂グループのトップとして、また﹁芸能界のドン﹂として知られる。
経歴
●1941年︵昭和16年︶、千葉県市原市に生誕。 ●1960年︵昭和35年︶、市川高等学校を卒業。 ●当時千葉県議会議員であった政治家・浜田幸一の運転手を経て、芸能プロダクション・新栄プロダクションに入社。住み込みで働きながら、北島三郎の運転手などを務めた。 ●1968年︵昭和43年︶、ホリプロダクション︵ホリプロ︶に転職。 ●1971年︵昭和46年︶、ホリプロダクションを退社し、自らの芸能事務所 ﹁国際プロダクション﹂を設立。同社はその後、所属歌手第1号であった本郷直樹のデビュー曲 ﹃燃える恋人︵1971年発売︶﹄にちなんで、﹁バーニングプロダクション﹂と改称。郷ひろみや小泉今日子、細川たかし、加藤雅也、藤原紀香ら輩出し、芸能界における絶対的権力を掌握し、動向を左右する存在になった[3]。 ●1973年︵昭和48年︶、バーニングパブリッシャーズを設立し、音楽著作権ビジネスに進出。 ●1994年︵平成6年︶、バンクスを設立し、外食産業ビジネスに進出。人物
芸能界で絶対的な権力を誇り、容易に所属タレントのスキャンダルを揉み消せると言われている[3]。 現在大手芸能事務所であるアミューズには、現在の会長である大里洋吉と資金を折半して設立しており、大里に原田真二やサザンオールスターズを紹介し、サザンオールスターズの﹁いとしのエリー﹂までの版権をバーニングパブリッシャーズが持つなど設立初期の頃には深く関わり、周防はバーニングのグループ企業と認識していた。現在は特に関係はないようで、周防は﹁株式上場したときにも何の挨拶もなかった﹂﹁運営資金は返してもらっていない﹂と話している[4][5]。 趣味はゴルフ[6]。家族
戸籍上は離婚しているが、進美恵子︵元妻︶とは現在も内縁関係にある。 実子で長男の周防彰悟︵音楽プロデューサー、レーシングドライバー︶は、バーニングパブリッシャーズ代表取締役。進亮︵周防亮︶は、Grickの代表取締役社長。脚注
(一)^ 会社代表者 周防郁雄 株式会社バーニングプロダクション︵会社概要︶平成22年8月9日閲覧
(二)^ 取締役 周防郁雄 株式会社オフィスプロペラ︵会社概要︶平成22年8月9日閲覧
(三)^ ab“バーニングプロダクション・周防郁雄社長、“ドンが揉み消したスキャンダル5選” (2019年10月27日)”. エキサイトニュース. 2022年3月20日閲覧。
(四)^ “バーニング社長・周防郁雄氏が初めて語る﹁芸能界と私﹂︵田崎 健太︶ @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年3月13日閲覧。
(五)^ “バーニング社長・周防郁雄氏が初めて語る﹁芸能界と私﹂︵田崎 健太︶ @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年3月13日閲覧。
(六)^ “"芸能界のドン"バーニング・周防社長の誕生日コンペに大物続々 - サイゾー - GREE ニュース”. GREEニュース アーカイブ. 2022年3月20日閲覧。