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嗚呼玉杯 ︵ああぎょくはい︶ は、旧制第一高等学校の代表的な寮歌の一つ。正式名称は﹁第十二回紀念祭東寮寮歌﹂[1]。﹁嗚呼玉杯﹂や﹁嗚呼玉杯に花うけて﹂は通称で、歌い出しの歌詞によっている。
日本三大寮歌の一つとされ、寮歌の中でも知名度が高い作品である。
基本データ[編集]
●成立年: 明治35年︵1902年︶
●作詞者: 矢野勘治︵1880年生-1961年没︶
●作曲者: 楠正一︵1882年生-1945年没︶ - 原曲は長調だったが、短調化して広まった。
作者を上記の者以外とする誤記が散見されるが、これは大正期までにさかのぼる。歌詞の出版権はコロムビアソングス株式会社が保有し、JASRAC信託楽曲であった。作詞者である矢野の死後50年を経過した2011年より、日本の著作権法において著作権保護期間を満了している。
矢野によれば、当初は和文調の歌詞であったが先に曲ができてしまい、楠等の意向により漢文調の歌詞に改めたという。
自治の理想と救国の使命に燃えるエリートの心意気を歌っている。
昨今の寮歌祭の傾向として、﹁十余年﹂ を原歌詞の通り ﹁十二年﹂ として歌うことが多い。
なお歌詞中﹁向ヶ丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し﹂とあるのは、当時一高の校地が向ヶ丘すなわち本郷弥生町︵現在は東大農学部キャンパス︶の丘陵に所在していたことを反映したものであり、その後東大農学部との校地交換で一高は駒場校地に移転、学制改革にともなう廃校まで存続した。
影響︵替え歌など︶[編集]
旧制第一高等学校の中のみならず、女学生や演歌師らによって世間一般にも広められたため、メロディーを利用した数多くの替え歌が存在する。多くは短調化した曲が使われた。
学校歌[編集]
旧制学校 ︵特に旧制中学校︶ をルーツとする学校に多くの例がある。たとえば、茨城県立下妻第一高等学校︵旧制下妻中学校︶の校歌のメロディーは嗚呼玉杯と全く同じである。
- ^ より正確には「第十二回紀念祭寮歌」。ただし、当時は 5棟あった寮がそれぞれ寮歌を選定していたため、「第十二回紀念祭寮歌」 も 6曲ある(一曲は東大寄贈歌)。区別のために、頁の末尾に 「(三十五年東寮)」 と附記されている。大正8年 (1919年) までの寮歌集での歌名は、「東寮々歌(三十五年)」 であった。参考:[1]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]