土方雄嘉
土方 雄嘉 | |
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時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文政12年7月16日(1829年8月15日) |
死没 | 安政5年8月28日(1858年10月4日) |
改名 | 仙之助(幼名)、雄嘉 |
戒名 | 寛裕院殿天然自得大居士 |
墓所 | 東京都文京区湯島の麟祥院 |
官位 | 従五位下、備中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国菰野藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 | 父:土方雄興、母:九鬼隆郷の娘 |
兄弟 | 雄嘉、興文 |
妻 | 正室:水野忠義の娘・寛心院 |
子 | 雄永 |
土方 雄嘉︵ひじかた かつよし︶は、伊勢菰野藩の第11代藩主。
文政12年︵1829年︶7月16日、第10代藩主・雄興の長男として江戸上屋敷で生まれる。天保9年︵1838年︶8月23日、父の死去により、家督を継ぐ。しかし、幼少の上に病弱だったため、祖父で第9代藩主の義苗が補佐を務めた。弘化元年︵1844年︶8月15日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・備中守に叙任する、弘化2年︵1845年︶に義苗が死去すると、叔父の土方義行が補佐を務めた。この間の藩政は義苗、義行によって行なわれ、倹約の徹底やアヘン戦争の余波による軍備増強が行なわれている。
安政5年︵1858年︶8月28日に死去した。享年30。跡を長男の雄永が継いだ。