墨書土器
墨書土器︵ぼくしょどき︶とは、古代日本において、漢字などの文字や道教の符号などの記号・絵を土器の表面に墨で書き記したもの。広義では土器の焼成前後に篦や釘などを用いて記した刻書土器︵こくしょどき︶も含める。
概要[編集]
古代において製造・使用されたものが多く、木簡や漆紙文書、文字瓦とならんで貴重な出土文字資料となる。墨書は主に奈良・平安時代の土師器や須恵器に見られ、東海地方で焼かれた瓷器︵灰釉陶器︶にも存在する[1]。組織や官職、地名、人名など、所有者に関する情報や目的・用途などが記されているものが多く、仏寺や祭祀・儀礼に関連したものや廃棄後に習書用に転用されたものなども含まれている。なお、須恵器よりも吸水性の高い土師器の方が墨との相性から習書用として用いられた[2]。 奈良時代の平城京などでは、人面が書かれた人面墨書土器が作られ、疫病神や鬼神を外に出す厄除けとして水に流されたとされる[3][4][5]。 中世・近世においても墨書・刻書された陶磁器は存在しているが、日本列島において儀式・信仰に関係する墨書土器は10世紀以降に姿を消す。墨書土器が姿を消す10世紀半ばには庶民の間に土俗性を有した浄土教が流行し、古代から中世にかけての信仰形態の変化が墨書土器が消失した要因であると考えられている[6]。ギャラリー[編集]
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脚注[編集]
(一)^ 浜松市博物館 2014 p30-31 (二)^ 猪熊﹃日本史大事典﹄﹁墨書土器﹂ (三)^ “︵53︶描かれたのは鬼か疫病神か - なぶんけんブログ”. www.nabunken.go.jp. 2023年8月20日閲覧。 (四)^ “人面墨書土器︵じんめんぼくしょどき︶|大野城市”. www.city.onojo.fukuoka.jp. 2023年8月20日閲覧。 (五)^ 久美子, 鬼塚 (1996年12月). “人面墨書土器からみた古代における祭祀の場”. 歴史地理学 = The Historical geography / 歴史地理学会 編. pp. 19~37. 2023年8月20日閲覧。 (六)^ 平川︵2008︶、pp.327-328参考文献[編集]
●平川南﹁墨書土器﹂﹃国史大辞典12﹄︵吉川弘文館 1991年︶ISBN 978-4-642-00512-8 ●平川南﹃日本の歴史2新視点古代史 日本の原像﹄小学館 2008年 ●猪熊兼勝﹁墨書土器﹂﹃日本史大事典6﹄︵平凡社 1994年︶ ISBN 978-4-582-13106-2 ●渡辺晃宏﹁墨書土器﹂﹃日本歴史大事典3﹄︵小学館 2001年︶ ISBN 978-4-095-23003-0 ●﹁灰釉陶器の呼び名と年代﹂﹃平安時代の陶芸と技﹄浜松市博物館 2014︵p30-31︶NCID BB18019520外部リンク[編集]
●墨書土器字典画像データベース ●﹃墨書土器﹄ - コトバンク