大原智子
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名前 | ||||||
カタカナ | オオハラ トモコ | |||||
ラテン文字 | OHARA Tomoko | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1957年??月??日 | |||||
出身地 | 三重県伊勢市 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1981 | 日本 | 1 | (0) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
大原 智子︵おおはら ともこ、1957年 - ︶は、三重県出身のサッカージャーナリストで女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。日本女子代表での登録ポジションはミッドフィールダー。
来歴[編集]
三重県伊勢市出身[1]。 1976年に実践女子大学に入学した後に学内にサッカー同好会を作ったのがきっかけでサッカーを始め、望月三起也︵漫画家︶が結成していた女子サッカーチーム﹁ワイルド11レディース﹂との練習試合を行ったことで望月との縁が出来る[2]。望月の肝煎りで出来た女子サッカーリーグ﹁チキンフットボールリーグ﹂にて、実践女子大学サッカー同好会選手としてプレーし[2]、大学卒業後の1980年には実践女子大学時代の同窓生らとサッカーチーム﹁FC PAF﹂を結成した[1][2]。 1981年にサッカー日本女子代表に招集され、同年9月9日、﹃ポートピア'81国際女子サッカーフェスティバル﹄に於けるイタリア代表との試合でデビューした[3][4]。この試合では0-9で敗れ、これは日本代表の歴史で最大の点差での敗戦である。大原の日本代表での出場はこの1試合のみである[5]。 現在はサッカージャーナリストとして活動しつつ、現役選手としてプレーを続けている[1][2]。代表歴[編集]
●1981年9月9日 - A代表初出場 - イタリア戦試合数[編集]
●国際Aマッチ1試合︵1981︶ [3]日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1981 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
著書[編集]
脚注[編集]
(一)^ abc大原智子、大住良之﹃がんばれ!女子サッカー﹄岩波書店︿岩波アクティブ新書﹀、2004年、表紙裏・165-168頁。ISBN 4-00-700120-0。
(二)^ abcd大原智子 (2016年4月7日). “望月三起也先生が逝ってしまった・・・”. ボールと昼寝. 2019年6月19日閲覧。
(三)^ ab“なでしこジャパン︵日本女子代表︶試合別出場記録” (PDF). 日本サッカー協会. 2019年6月19日閲覧。
(四)^ 大原智子 (2015年6月1日). “34年後のイタリア戦”. ボールと昼寝. 2019年6月19日閲覧。
(五)^ “なでしこジャパン︵日本女子代表︶選手個人記録︵出場試合数ランキング︶” (PDF). 日本サッカー協会. 2019年6月19日閲覧。
外部リンク[編集]
- FC PAF公式サイト
- ボールと昼寝 - 公式ブログ[1]