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大村 純尹︵おおむら すみまさ︶は、肥前国大村藩の第5代藩主。
寛文4年︵1664年︶3月21日、第4代藩主・大村純長の次男として江戸藩邸で生まれた。兄の純真が廃嫡されたことにより、元禄2年︵1689年︶4月26日に世子に指名され、12月27日に従五位下・筑後守に叙位・任官された。宝永3年︵1706年︶10月、父の死去により家督を継いだ。このとき、異母弟の純庸に3000石を分与している。宝永7年︵1710年︶10月にこの純庸を養嗣子として幕府に届けている。
藩財政窮乏のため、家臣団のリストラを行なった。しかし幕府の手伝い普請、軍役、参勤交代による出費で財政的にはさらに苦しんだ。このため新田開発や年貢増徴を行なうなどしたが、凶作や捕鯨業の不振などもあって、借金を何度も行なっている。しかし、あまりに借金を何度も行なったため、遂には商人から拒絶されたこともあるといわれる。
正徳2年︵1712年︶10月14日に江戸で死去した。享年49。実子は全て早世したため、異母弟で養子の純庸が跡を継いだ。
父母
●大村純長︵父︶
●亀 ー 有馬康純の娘︵母︶
正室
●蝶 ー 織田信久の娘
子女
●大村亀次郎
●大村源之助
●娘、生母は蝶︵正室︶
●大田原清在室
養子
●大村純庸 ー 実弟
大村氏 大村藩5代藩主 (1706年 - 1712年) |
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