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大橋 吉之輔︵おおはし きちのすけ、1924年11月27日 - 1993年11月2日︶は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。
広島市出身[1]。
1937年に広島高師附属中学校に入学、いわゆる﹁四修﹂で四年で卒業し、1941年に旧制広島高校に進学。1943年に東京帝国大学に入学した。1945年、召集を受けて朝鮮に派兵されるが間もなく終戦となり、戦後八か月ほど同地に滞在した後、1946年に帰国。
1948年3月に東京帝大文学部英文科を卒業する。学生時代は慶應義塾とは一切関わりがなかった。
東大では、中野好夫に師事した。卒業論文でシャーウッド・アンダスン論を書こうとしたが、そのための資料が東大の図書館にはほとんどなく、早稲田大学の龍口直太郎教授が作品を所蔵していることを聞きつけ、直談判し資料の貸し出しに成功した。卒業後は東京都立第九新制高等学校︵現・都立北園高等学校︶に職を得たが、三か月で教頭と大喧嘩の末、退職。
退職後は龍口が編集者を務めていた東西出版社に籍を置き、﹃新英米文学﹄の編集に携わったが、同社は翌1949年に倒産。同年、玉川大学文学部英米文学科に専任講師として招かれた。1952年慶應義塾大学文学部英米文学科に移り、1959年に助教授、1963年には教授になった。1990年定年退任、恵泉女学園大学教授。同姓︵血縁ではない︶の大橋健三郎らとともにアメリカ文学会を担った。
1987年、﹁アンダスンと三人の日本人﹂で日米友好基金特別図書賞を受賞。
- ^ 大橋 吉之輔 コトバンク 20世紀日本人名事典 2019年11月30日閲覧。