大江スミ
大江 スミ︵おおえ すみ、明治8年︵1875年︶9月7日[1] - 昭和23年︵1948年︶1月6日[1]︶は、明治から昭和にかけて活躍した教育家。女子教育の先覚者。東京家政学院︵現・東京家政学院大学︶創立者で、日本における家政学の先駆者[2]。長崎県出身。旧姓・宮川。東洋英和女学院中学部・高等部、お茶の水女子大学卒業。文部省の国費にてロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校に留学。
経歴[編集]
1875年︵明治8年︶9月7日、宮川盛太郎とカネの二女として長崎県十善寺︵現在の長崎市︶に生まれる。1880年︵明治13年︶父が宮内省大膳職へ転じたことにより一家は長崎より上京し、芝の栄町︵現在の港区芝公園三丁目︶に家を構える。1891年︵明治24年︶芝鞆絵小学校に入学[3]。1889年︵明治22年︶東洋英和女学校に入学[1]、1894年卒業[1]。東洋英和女学校での生活の影響は大きく、のちに朝礼や年中行事を東京家政学院に導入している。1895年︵明治28年︶東洋英和女学校教員となる[1]。1897年︵明治30年︶同校を退職し[1]、女子高等師範学校︵現在のお茶の水女子大学︶に入学[1]。1901年︵明治34年︶同校を卒業し[1]、沖縄師範学校教諭[1]、沖縄県高等女学校教諭嘱託となる[1]。 1902年︵明治35年︶文部省の命により、家政研究の視察のため4年間英国へ留学する[1]。しかしロンドンの大学に目指す学科がなかったので、家政師範科のある専門学校バケイシーポリテクニックの家政科に入学[1]。1905年︵明治38年︶に卒業[1]。留学中は休暇を利用し、イギリス国内の大学、師範学校に加え幼稚園まで幅広く教育機関を見学し、オランダ、ベルギー、ドイツなどにも足を延ばし、ヨーロッパ各地の調査旅行を精力的に行なった[3]。 1905年︵明治38年︶私費留学生としてベッドフォード大学 (Bedford College (London)) ︵現ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校︶の衛生科で社会衛生学を学ぶ[1]。この時、衛生検査員の資格も取得し、台所だけの家政学ではなく、社会の中での新しい家政学を構想した。1906年︵明治39年︶に卒業[1]、8月に帰国[1]。1907年︵明治40年︶女子師範学校教諭兼女子高等師範学校︵1908年に東京女子高等師範学校と改称︶教授[1]。1909年︵明治42年︶女子高等師範学校専任教授[1]。 1915年︵大正4年︶近衛師団経理部長の大江玄寿と結婚[1]、大江姓となる[1]。1921年︵大正10年︶夫の大江玄寿が死去︵享年62︶。 1923年︵大正12年︶東京市牛込区市ヶ谷富久町の自宅に家政研究所を開設。1925年︵大正14年︶東京家政学院を開設[1]。東京家政学院校長就任[1]。東京女子高等師範学校を退官。1937年︵昭和13年︶勲四等瑞宝章受章。1939年︵昭和15年︶藍綬褒章受章。 第二次世界大戦中は女子学生に軍事教練を試みるなど軍国主義的な行動のためか、戦後は女子教育界からは外されたが、亡くなるまでの生涯を女子教育の振興に捧げた。 1948年︵昭和23年︶1月6日死去︵享年74︶[1]。人物[編集]
●スミは常にユーモアに満ち、感性と比喩に長けていた。たとえば教育実習に出る学生には﹁﹃つもり教育﹄﹃はず料理﹄はいけませんよ!﹂と教え、﹁ベターは駄目、ベストを心がけましょう﹂﹁謙虚さは美徳﹂﹁﹃だって、けれど﹄はいけません﹂﹁耳だこ教育は母の役です﹂など数多くが伝わっている。
●家政学の地位を﹁三ぼう主義﹂︵女房、説法、鉄砲︶という概念をもって説明した。﹁女房﹂は家庭の中心で家を治めるもの、﹁説法﹂は宗教︵キリスト教︶であり、個人の心を治めるためにも家庭や社会にとっても正義を実行するために重要なもの、﹁鉄砲﹂は戦争のためではなく平和を保つために必要なものという論理を展開した。
●後年、家政学院設立時の教育の理想としてKnowledge︵知識を深める︶、Virtue︵徳性を養う︶、Art︵技術を磨く︶の頭文字を取りKVA理念を説いた。
●1940年東京オリンピック︵大戦で中止︶の開催が決まった直後の1936年12月、家政学院の学友会誌に﹁改むべき事ども﹂を寄稿し、煙草の吸い殻などゴミのポイ捨てをやめ、トイレは男女別々にして、外国人に親切にすべきことを訴えた[2]。
著書[編集]
●﹃家事実習教科書﹄ 元元堂書房、1910年 ●﹃三ぼう主義﹄ 宝文館、1911年 ●﹃応用家事講義﹄ 宝文館、1916年 ●﹃応用家事教科書﹄ 宝文館、1917年 ●﹃礼儀作法全集﹄ 中央公論社、1938年 ●﹃女子礼法﹄︵久米茂との共著︶光生館、1941年関連項目[編集]
●雑誌﹃新女界﹄‥安井てつと共に参画脚注・出典[編集]
参考資料[編集]
- 大濱徹也『大江スミ先生』東京家政学院光塩会、1978年10月
- 大濱徹也『ひとひらの雪として』東京家政学院光塩会、1990年4月