大野連治
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大野 連治︵おおの れんじ、1904年︵明治37年︶3月21日[1] - 1991年︵平成3年︶11月16日[2]︶は、日本の内務官僚。官選青森県知事。湯沢三千男の娘婿[3]。
経歴[編集]
千葉県東葛飾郡船橋町九日市で生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。横浜正金銀行を経て、1929年、内務省に入省し社会局属となる[4]。 1946年1月、内務省文書課長から青森県知事に就任。同年11月24日、仮県庁が全焼した。1947年3月、引揚援護院次長に転じた。その後、全国市長会事務局長、人事院参与、地方公務員災害補償基金理事長を務めた[1][2]。著作[編集]
- 星敏雄との共著『都市計画編』〈土木行政叢書〉、女子文館書店、1940年。
脚注[編集]
(一)^ abc﹃新編日本の歴代知事﹄114頁。
(二)^ ab﹃現代物故者事典 1991〜1993﹄129頁。
(三)^ “日米開戦前夜﹁既に勝った﹂ 東条英機首相発言の高官メモ発見 昭和天皇に開戦手順を報告”. 産経新聞. (2018年8月14日) 2020年2月29日閲覧。
(四)^ ﹃日本官僚制総合事典‥1868 - 2000﹄265頁。