宮本康昭

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みやもと やすあき


宮本 康昭
生誕 (1936-02-26) 1936年2月26日(88歳)
満洲国の旗 満洲国 竜江省斉斉哈爾市
出身校 九州大学法学部法律学科
職業 法学者、弁護士
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著書[編集]

単著[編集]

  • 『危機に立つ司法』汐文社、1978年10月。 
  • 『あのとき裁判所は?』ひめしゃら法律事務所、2017年。 

共著[編集]

  • 『刑事実務の研究』日本評論社、1971年。 
  • 『再任拒否と司法改革 : 司法の危機から半世紀、いま司法は』日本評論社、2021年4月。ISBN 9784535525269 

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「伝説の裁判官」が実名告発!なぜ裁判官は政府に逆らえないのか? - 現代ビジネス 2022年7月3日閲覧
  2. ^ 安倍晴彦『犬になれなかった裁判官―司法官僚統制に抗して36年』日本放送出版協会、2001年、190-192頁。 
  3. ^ a b c d 法曹界のレジェンド、再任拒否された宮本康昭氏のオーラルヒストリー=黒木亮 - エコノミストONLINE 2022年7月3日閲覧
  4. ^ 御厨貴『矢口洪一 オーラル・ヒストリー』政策研究大学院大学〈C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト〉、2004年3月、176頁。 
  5. ^ 衆議院法務委員会. 第71回国会. Vol. 11. 27 March 1973. 熊本簡易裁判所の宮本裁判官が三月十四日付をもちまして辞任を申し出られたわけでございます。これは所属の簡易裁判所、地方裁判所、高等裁判所を経由いたしまして、最高裁判所に申達されたわけでございます。最高裁判所といたしましては、裁判官会議におはかりしました上で、内閣に送付するということに相なるわけでございます。
  6. ^ 弁護士会の読書 - 福岡県弁護士会 2022年7月3日閲覧
  7. ^ 衆議院法務委員会. 第71回国会. Vol. 11. 27 March 1973. この新聞の記事によれば、「同裁判官は、昨年十月開かれた裁判官懇話会の席上1四年近く給料が固定され、家族は精神的にこたえている」と漏らしたというふうに書いてあります。四年も同僚の、判事に任官された同期の裁判官がストップされているかどうか。そうでないとすると明らかに差別がそこで、簡易裁判所の裁判官というだけの理由によってされたことにもなるわけですが、同期の裁判官で判事に任用された方の給料はこの二年間に上がっているのでしょうかそのままでしょうか。
  8. ^ 書籍『再任拒否と司法改革 司法の危機から半世紀、いま司法は』 - 法学館憲法研究所 2022年7月3日閲覧

外部リンク[編集]