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富松城

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富松城
兵庫県
富松城の土塁と水堀跡
富松城の土塁と水堀跡
別名 東富松城
城郭構造 平城、館城
天守構造 なし
築城主 薬師寺氏
築城年 長享元年(1487年)11月(文献初見)以前
主な改修者 不明
主な城主 薬師寺氏
廃城年 不明
遺構 土塁、水堀
再建造物 なし
位置 北緯34度45分26.199秒 東経135度23分56.613秒 / 北緯34.75727750度 東経135.39905917度 / 34.75727750; 135.39905917
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富松城(とまつじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城。現在でも土塁水堀遺構が確認できる。

概要

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西80m100m61994調西150m200m381963調

沿革

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長享元年(1487年)11月の「年貢算用状」に富松城の初見が見受けられる。平安時代にはこの地は富松荘と呼ばれた荘園であった。この時代から薬師寺氏が管理しており、築城も薬師寺氏の可能性が高いと思われる。

戦場となる富松城

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土塁跡

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姿1015412西102退

18154951退191549111328

廃城

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()[1]1573 - 1592

二カ所一城説

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三好長慶時代『細川両家記』や『 足利季世記』によると、「西富松城」「東富松城」という記述が見受けられる。このことにより二カ所一城、現在の富松城と同規模の城がもう一つあったのではないかという説もある。

  • 東富松城
    • 兵庫県尼崎市武庫之荘2丁目付近(水堀、土塁の遺構が残っているのは東富松城)
  • 西富松城

城跡へのアクセス

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富松城のバス停(現在は阪神バスのバス停となっている)

脚注・出典

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  1. ^ 細川護貞監修、石田晴男・今谷明・土田将雄編『綿考輯録 第二巻 忠興公(上)』(汲古書院)p104

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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出典・脚注

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  1. ^ 西運寺 | 寺院を検索する | 浄土宗 寺院検索”. otera.jodo.or.jp. 2024年3月1日閲覧。