小川哲哉
おがわ てつや 小川 哲哉 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 東京府(現東京都) |
生年月日 | 1942年2月24日(82歳) |
最終学歴 | 早稲田大学政経学部 |
所属事務所 | 小川哲哉プロダクション |
職歴 | 元TBSアナウンサー |
活動期間 | 1965年 - |
ジャンル | 音楽・バラエティ |
公式サイト | プロフィール |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | など |
小川 哲哉︵おがわ てつや、1942年2月24日 - ︶は、日本のアナウンサー、司会者、ナレーター。
東京府(現東京都)出身。早稲田大学政経学部卒業。声質は重厚感のあるバリトン[1]。
来歴・人物[編集]
1965年4月、TBSにアナウンサー第10期生として入社︵同期には今村稔・車尾具昭・五味陸仁・多田護・奈良陽・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子︶[2][3]。また、一年先輩の石川顕・宇野淑子は同学年の同僚。ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部に勤務︵1966年1月︶[4]。アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部に勤務︵1967年11月15日︶[5]。その後、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付︵1968年6月︶、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付︵1969年3月︶、ラジオ本部アナウンス室︵1970年7月︶にそれぞれ在籍[4]。﹃輝く!日本レコード大賞﹄ではサブ司会、﹃速報!日本レコード大賞﹄では司会を、毎年4月と10月のテレビ改編期に放送されていたTBS特番﹃テレビ祭り4月だョ!全員集合﹄・﹃テレビ祭り10月だョ!全員集合﹄ではスタジオナレーションを毎回務めた。 1972年9月にTBSを退社し[6][4]、高橋圭三プロダクションに移籍した。その後独立し小川哲哉プロダクションを設立、フリーアナウンサーとなり、テレビ、ラジオ出演以外にも、イベント、パーティー、結婚披露宴などでも司会を務めたり、ナレーターとしても活躍している。テレビコマーシャルではキャッチナレーションを数多く担当、テレビ番組でも﹃日本レコード大賞﹄や﹃ザ・チャンス﹄、ラジオでも﹃決定!全日本歌謡選抜﹄や﹃小川哲哉のぶっちぎりラジオ﹄での軽快な話術でお茶の間に親しまれた。出演番組[編集]
●ダイヤモンド・ハイウェイ︵1966年、TBSラジオ︶[6][4] ●パックインミュージック︵1969年10月 - 1970年3月、TBSラジオ︶水曜︵火曜深夜︶[6][4] ●歌の明星︵1969年、TBSラジオ︶[4] ●歌謡天国︵1969年、TBSラジオ︶[4] ●クラウンレコード1万円クイズ︵1969年 - 1972年、TBSラジオ︶[4] ●速報!JRN歌謡ベストテン︵1969年、TBSラジオ︶[4] ●ゴーゴーヤング︵1970年、TBSラジオ︶[6][4] ●TODAY︵1970年、TBSラジオ︶[4] ●第13回輝く!日本レコード大賞︵1971年12月31日、TBSテレビ︶リポーター ●あの虹をつかもう︵1972年、TBSテレビ︶[6][4] ●JNNニュースショー︵1972年、TBSテレビ︶[6][4] ●第14回輝く!日本レコード大賞︵1972年12月31日、TBSテレビ︶リポーター ●SONY BCLジョッキー︵1973年10月 - 1977年12月、TBSラジオ︶パーソナリティ ●第15回輝く!日本レコード大賞︵1973年12月31日、TBSテレビ︶リポーター ●はーい!アグネス︵1974年、NET・毎日放送︶ ●決定版!あなたをスターに!︵1974年10月 - 1975年9月28日、NET︶司会 ●第16回輝く!日本レコード大賞︵1974年12月31日、TBSテレビ︶司会 ●第17回輝く!日本レコード大賞︵1975年12月31日、TBSテレビ︶司会 ●ホリプロタレントスカウトキャラバン︵1975年 - 1980年、テレビ朝日︶サブ司会、ナレーション ●オールスター紅白大運動会︵1975年 - 1980年、フジテレビ︶司会、実況担当 ●テレビ祭り4月だョ!全員集合、テレビ祭り10月だョ!全員集合︵1975年 - 1985年、TBS︶スタジオナレーション ●決定!全日本歌謡選抜︵1976年 - 1988年、文化放送︶ ●おはよう!こどもショー︵1977年、日本テレビ︶ ●第19回輝く!日本レコード大賞︵1977年12月31日、TBSテレビ︶司会︵審査会場担当︶ ●日本有線大賞︵1978年・1981年・1982年、TBSテレビ︶司会 ●ザ・チャンス!︵1979年 - 1986年、TBSテレビ︶天の声︵ナレーション︶ ●歌謡ワイド速報!!︵1979年、テレビ朝日︶司会・進行役︵情報担当︶ ●ザ・ヒットパレードスペシャル 小川哲哉の歌謡曲で全力投球!︵1982年 - 1984年、TBSラジオ︶ ●ザ・ヒットパレード 毎日がベストテン︵TBSラジオ︶ ●ヒット歌謡ジョッキー︵1982年、テレビ東京 / BMC︶司会 ●夜はともだち︵TBSラジオ︶ ●でっかくいこう︵TBSラジオ︶ ●小川哲哉のぶっちぎりラジオ︵TBSラジオ︶ ●古本新之輔 ちゃぱらすかWOO!︵文化放送︶ ●小川哲哉の真昼の歌謡大作戦!︵ラジオ関東・ラジオ日本︶ ●小川哲哉の演歌で行こう!︵ラジオ日本︶吹き替え[編集]
映画[編集]
●イエロー・サブマリン︵1969年︶ナレータービブリオグラフィ[編集]
監修書籍[編集]
●ポイントを押さえた友人のウエディング・スピーチ : さすがといわせる話し方実例集︵2001年4月1日発行、日本文芸社︶レコード[編集]
●﹁名前﹂︵作詞‥阿久悠、作曲‥三木たかし、編曲‥高田弘︶/ B面‥むかしの女︵作詞‥落合武司、作曲‥江口浩司、編曲‥高田弘︶ 発売‥キングレコード︵1976年、GK-64︶関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ “プロフィール” (PDF). エス・オー・プロモーション. 2014年10月22日閲覧。 “声の特徴 重厚感のあるバリトン”
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237-238頁。"1965.4<10期生> 9人入社(男6・女3) 今村 稔 小川哲哉 車尾具昭 五味陸仁 多田 護 奈良 陽 桐本幸子 手塚俊子 本田綾子"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、18-19頁。"65.4 <10期生>9人入社(男6・女3) 今村 稔 小川 哲哉 車尾 具昭 五味 陸仁 多田 護 奈良 陽 桐本 幸子 手塚 俊子 本田 綾子"。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、18頁。"小川 哲哉…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部][67.11 アナウンサー研修室付兼R局第一制作部][68.6 R局第一制作部兼アナウンサー研修室付][69.3 放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室][72.9 退社] R「ダイヤモンドハイウェイ(66)」「パック・イン・ミュージック(69)」「歌の明星(69)」「歌謡天国(69)」「一万円クイズ(69)」「速報!JRN歌謡ベストテン(69)」「ゴーゴーヤング(70)」「TODAY(70)」 TV「あの虹をつかもう(72)」「JNNニュースショー(72)」"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、22頁。"1967年 11月15日 『アナウンサー研修室』設置 <アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務者> 今村 稔、小川哲哉、車尾具昭、五味陸仁、桐本幸子、手塚俊子、本田綾子、岩崎直子、遠藤泰子、藤田恒美、堀川恵子、堀川友子、青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、久米 宏、林 美雄、宮内鎮雄、米沢光規、河野通太郎"。
- ^ a b c d e f 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。"小川哲哉[1972.9退社] R「ダイヤモンドハイウェイ(1966)」「パック」「ゴーゴーヤング(1970)」 TV「あの虹をつかもう(1972)」「JNNニュースショー(1972)」"。
参考文献[編集]
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
外部リンク[編集]
- 小川 哲哉 | 株式会社エス・オー・プロモーション(SOP・SOプロ) - 公式サイト。