小林源蔵
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c7/Kobayashi_Genzo.jpg/170px-Kobayashi_Genzo.jpg)
小林 源蔵︵こばやし げんぞう、慶応3年3月6日︵1867年4月10日︶ - 大正10年︵1921年︶1月9日︶は、日本の鉄道官僚、衆議院議員︵立憲政友会︶。位階勲等は正四位勲三等。
経歴[編集]
出羽国旧米沢藩士の秋山家に生まれ、小林家の養子となった。1894年︵明治27年︶、東京帝国大学法科大学を卒業。逓信省に入り、鉄道書記となった。1897年︵明治30年︶、鉄道事務官に昇進。1902年︵明治35年︶から翌年にかけて欧米各国の鉄道事務を視察した。 日露戦争が勃発すると野戦鉄道経理部庶務課長に任命されたが、戦地に赴く途中、乗船していた佐渡丸がロシアの攻撃を受け、捕虜となった。1年半にわたって虜囚生活を送ったが、1905年︵明治38年︶に帰国することができた。帰国後は鉄道庁参事、鉄道員理事を歴任した。 1912年︵明治45年︶、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回の当選を重ねた。死去前年の1920年︵大正9年︶2月10日付で白山水力の代表取締役社長に選出されている[1]。墓所は多磨霊園(10-1-9)栄典[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 清田伊平編『御大典記念 日本ダイレクトリー』甲寅通信社、1915年。