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小治田安萬侶の墓︵おはりだのやすまろのはか︶は、奈良県奈良市都祁甲岡町にある古代の墓。奈良時代の官人である小治田朝臣安萬侶の火葬墓で、国の史跡に指定されている。
小治田 安萬侶︵おはりだ の やすまろ、生年不詳 - 729年3月13日︵神亀6年2月9日︶没︶は、文武から聖武まで4代の天皇に仕えた官人で、蘇我稲目の後裔にあたる。﹃続日本紀﹄には719年︵養老3年︶に正五位上に叙されたとの記事があり、亡くなった時の位は従四位下であった。
1912年︵明治45年︶、茶畑の開墾中に偶然木櫃が発見され墓誌3枚が出土した。1951年︵昭和26年︶に改めて発掘調査が行われて火葬墓であることが確認された。
墓地は都祁水分神社がある丘陵の南斜面につくられており、墓誌の他に木櫃と副葬品の三彩の壷、銀製の和同開珎、須恵器、土師器が出土したほかに、双獣双鳳文鏡1面も同墓の出土品として伝わっている[1]。火葬は墓のすぐ近くで行われ、木櫃は1辺約3.6メートルの正方形の穴の中に炭と礫が敷かれた上に置かれていた。
なお、同じく墓誌が発見されている太安万侶は、名前が同一であるが別人である。同時代の文官ということもあって、よく混同される。
金銅小治田安万侶墓誌、東京国立博物館所蔵︵重要文化財︶
墓誌は金銅製で、国の重要文化財に指定されている。銘文は以下の通り。
左琴神亀六年二月九日
右京三條二坊従四位下小治田朝臣安
萬侶大倭國山邊郡都家郷郡里崗安墓
神亀六年歳次己巳二月九日
右書神亀六年二月九日
左琴と右書の銘文が内側に向かうように、木櫃の中の両側に立てかけられていたと言い伝わっている。
アクセス[編集]
- バス
- 奈良交通バス「来迎寺」停留所にて下車し北へ徒歩10分弱
- 車
- 名阪国道針インターより国道369号線経由約15分
文化財[編集]
重要文化財(国指定)[編集]