小野信一
小野 信一 おの しんいち | |
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生年月日 | 1932年4月26日 |
没年月日 | 2017年1月6日(84歳没) |
出身校 | 成城大学経済学部 |
所属政党 |
(日本社会党→) 無所属 |
称号 | 従四位 |
子女 | 小野共(釜石市長) |
選挙区 | 旧岩手1区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1979年10月8日 - 1983年11月28日 1986年7月6日 - 1993年6月18日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1999年5月18日 - 2003年5月17日 |
小野 信一︵おの しんいち、1932年︵昭和7年︶4月26日 - 2017年︵平成29年︶1月6日︶は、日本の政治家。
衆議院議員︵4期︶、釜石市長︵1期︶を歴任。息子は釜石市長の小野共[1]。
経歴[編集]
岩手県上閉伊郡釜石町︵現・釜石市︶出身[2]。1956年成城大学経済学部卒業。1959年釜石市議会議員に当選し、4期務める[2]。1962年より岩手県青年団体協議会会長、1975年より釜石米雑穀協組理事長を歴任。 1979年の第35回衆議院議員総選挙にて日本社会党公認で初当選。1980年に再選され1983年に落選、1986年に国政復帰し1990年に再選、1993年に再び落選する。 社会党県本部長在職中の1995年春、岩手県知事選挙に出馬するも増田寛也に敗れる。1999年釜石市長選挙で元市議会議員の大久保隆規らを破り、2003年に任期満了で退任。同年旭日中綬章受章[3]。 2017年1月6日、誤嚥性肺炎のため死去[4]。84歳没。叙従四位[5]。脚注[編集]
(一)^ “釜石市長に小野氏が初当選 20年ぶり選挙戦の新顔一騎打ちを制する”. 朝日新聞. (2023年11月12日) 2023年11月20日閲覧。
(二)^ ab﹃新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人﹄129頁。
(三)^ ﹁2003年秋の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧﹂﹃読売新聞﹄2003年11月3日朝刊
(四)^
小野信一氏死去 衆院4期、元釜石市長 産経ニュース 2017年1月7日付
(五)^ ﹃官報﹄6949号、平成29年2月2日
参考文献[編集]
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
公職 | ||
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先代 野田武義 |
岩手県釜石市長 1999年 - 2003年 |
次代 小沢和夫 |