尾田信忠
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尾田 信忠︵おだ のぶただ、1869年︿明治2年﹀ - 1957年︿昭和32年﹀4月28日[1]︶は、日本の教育者。錦鶏間祗候。
経歴[編集]
新潟県に上田義信の長男として生まれ、尾田信通の養子となった。1895年︵明治28年︶、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。陸軍教授となり、東京陸軍地方幼年学校教頭、教育総監部出仕を経て、陸軍士官学校教頭を務めた。 1935年︵昭和10年︶4月8日に退官し[2]、翌年に錦鶏間祗候となった。 1957年︵昭和32年︶4月、脳溢血で死去した[1]。栄典[編集]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
- 『偕行 第69号』偕行社、1957年。