山口県民歌
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山口県民歌(初代) | |
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作詞 |
渡辺世祐 高野辰之(補作) |
作曲 | 信時潔 |
採用時期 | 1940年2月11日 |
採用終了 | 1945年(演奏禁止) |
言語 | 日本語 |
解説[編集]
「山口県制定 山口県民歌」 | |
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霧島昇 の シングル | |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 都道府県民歌 |
レーベル | 日本コロムビア |
作詞・作曲 |
作詞:渡辺世祐 補作:高野辰之 作曲:信時潔 |
1940年︵昭和15年︶の皇紀二千六百年記念行事の一環として歌詞を公募し、600点の応募作を基に萩市出身の歴史学者・渡辺世祐が作詞を行い[1]、高野辰之が歌詞の補作、信時潔が作曲をそれぞれ依頼により手掛けて2月11日に山口県と山口市が共同で開催した建国祭式典で紀元二千六百年歌の奉唱に続いて初演奏が執り行われた[1]。同年には日本コロムビアより霧島昇が歌唱するSPレコードが発売されている。
二、 幾いく百もも年とせの 妖よう雲うん払はらい 天てん日じつの光ひかり 四しか海いを照てらす 維いし新んの偉いぎ業ょう 翼よく賛さんの誉ほまれ 負おい持もつ我われ等らぞ 山やま口ぐち県けん民みん いざいざ仰あおげ 指しづ月きや山ま 焦しょ土うど尊そん王のうの 精せい神しんを
三、 三さん面めん海うみなる 天てん与よの国こく土ど 営いとなむ農のう商しょう 漁ぎょ塩えんの外そとに 新あらたに興おこれる 殷いん賑しん工こう業ぎょう 雲くもなす煙けぶりは 二にし州ゅうになびく いざいざ仰あおげ 水すい陸りくの 産さん業ぎょ文うぶ化んかの 結むすぶ実みを
四、 西にし日にっ本ぽんの 玄げん関かん出いでて 指さすは大たい陸りく 亜あ細じ亜あの空そらに 共きょ存うそ共んき栄ょうえい 心こころに期きして 正ただししき力ちから 新あたらしき生いの命ち いざいざ仰あおげ 諸もろ共ともに 築きずき上あぐべき 大だい殿でん堂どう
※原文は旧字旧仮名遣い。 1番の﹁百万一心﹂は長州藩の藩祖・毛利元就の故事に由来するが、1931年︵昭和6年︶に作られた﹁防長青年歌﹂︵作詞・大谷剛、作曲・信時潔︶の歌詞にも﹁天行健なり 百万一心﹂との一節があり[3]、しばしば初代﹁山口県民歌﹂と混同される[4]。
戦後の扱い[編集]
1945年︵昭和20年︶の太平洋戦争終結後、本曲は﹁奉公﹂﹁翼賛﹂﹁尊王﹂﹁共栄﹂など軍国主義を想起させる単語の多用を理由に連合国軍最高司令官総司令部︵GHQ/SCAP︶から演奏を禁じられたが1951年︵昭和26年︶には2代目﹁山口県民の歌﹂が歌詞の一般公募を経て大村能章の作曲で2曲同時に制定された。しかし、2曲の2代目﹁山口県民の歌﹂も10年余りしか存続せず1962年︵昭和37年︶には県成立90周年を記念して現行の3代目﹁山口県民の歌﹂が新たに制定された。県では3代目﹁山口県民の歌﹂の制定動機について﹁それまで県民歌が無かった﹂としており、初代﹁山口県民歌﹂と2代目﹁山口県民の歌﹂2曲の計3曲については存在自体が無かったものとして扱われている[2]。なお、3代目﹁山口県民の歌﹂も初代と同じ信時潔が作曲を行っている。歌詞[編集]
初代﹁山口県民歌﹂は歌詞・旋律とも著作権の保護期間を満了し、2016年︵平成28年︶1月1日よりパブリックドメインになっている。 一、 豊とよ浦らの宮みやの 故ふる事ごとしのび 藩はん祖その訓おしえ 代よ々よに守まもりて 百ひゃ万くま一んい心っしん 結むすびも固かたく 奉ほう公こうの意い気き 天てん地ちに満みてり いざいざ仰あおげ 御おん遺いと徳く 永と久わにかわらぬ 御みか鏡がみぞ二、 幾いく百もも年とせの 妖よう雲うん払はらい 天てん日じつの光ひかり 四しか海いを照てらす 維いし新んの偉いぎ業ょう 翼よく賛さんの誉ほまれ 負おい持もつ我われ等らぞ 山やま口ぐち県けん民みん いざいざ仰あおげ 指しづ月きや山ま 焦しょ土うど尊そん王のうの 精せい神しんを
三、 三さん面めん海うみなる 天てん与よの国こく土ど 営いとなむ農のう商しょう 漁ぎょ塩えんの外そとに 新あらたに興おこれる 殷いん賑しん工こう業ぎょう 雲くもなす煙けぶりは 二にし州ゅうになびく いざいざ仰あおげ 水すい陸りくの 産さん業ぎょ文うぶ化んかの 結むすぶ実みを
四、 西にし日にっ本ぽんの 玄げん関かん出いでて 指さすは大たい陸りく 亜あ細じ亜あの空そらに 共きょ存うそ共んき栄ょうえい 心こころに期きして 正ただししき力ちから 新あたらしき生いの命ち いざいざ仰あおげ 諸もろ共ともに 築きずき上あぐべき 大だい殿でん堂どう
※原文は旧字旧仮名遣い。 1番の﹁百万一心﹂は長州藩の藩祖・毛利元就の故事に由来するが、1931年︵昭和6年︶に作られた﹁防長青年歌﹂︵作詞・大谷剛、作曲・信時潔︶の歌詞にも﹁天行健なり 百万一心﹂との一節があり[3]、しばしば初代﹁山口県民歌﹂と混同される[4]。
脚注[編集]
(一)^ ab山口県文書館﹃山口県政史 上巻﹄︵1971年︶、289ページ。
(二)^ “知っていますか?県民歌 - サンデー山口”. 2004年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月19日閲覧。
(三)^ 次の歌詞と楽譜について︵国立国会図書館 レファレンス協同データベース︶
(四)^ 名誉館長のつぶや記 119﹁天行健なり﹂︵下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館︶は両曲を混同している一例である。
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