岡田磐
岡田 磐︵おかだ いわお、1853年6月12日︿嘉永6年5月6日[1][注 1]﹀ - 1927年︿昭和2年﹀2月17日[1][2][3]︶は、明治から大正時代の政治家。警察官。銀行家。岡山市長。号は撫川[3]。
経歴[編集]
備中撫川︵現岡山市北区撫川︶出身[3]。犬飼松窓の門に学んだ[2]。1873年︵明治6年︶小田県等外一等出仕、1875年︵明治8年︶岡山県十五等出仕、1878年︵明治11年︶岡山県警部、さらに西西条、西北条、東南条、苫田の各郡長を経て、1902年︵明治35年︶7月25日、岡山市長に就任した[2]。この間、津山、岡山各警察署長を歴任した[1]。 市長在任中は、前任の小田安正のあとを受けて1903年︵明治36年︶から上水道敷設工事に着手し1905年︵明治38年︶3月に全国で8番目の上水道を完成させたほか、電話開通、吉備線や宇野線の開通、西大寺鉄道の開通、市内電車の開通など近代化を進めた[2]。教育関係の充実にも尽くし、商業補習学校の創設、各小学校の新改築、幼稚園の新設、師範学校の移転に市費を補助するなどの事業を行った[2]。ほか、し尿汲み取りの市営化、市制施行20周年記念の市庁舎増改築、第1回岡山市史編纂、下水道工事着手、岡山市公報の発行など数多くの事績を残した[2]。3期16年に渡って市長を務め、1918年︵大正7年︶8月2日、満期退職した[2]。1925年︵大正14年︶岡山県農工銀行頭取に就任した[1]。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻』44頁には嘉永6年5月26日生とある。