岩倉政治
岩倉 政治︵いわくら まさじ、1903年3月4日 - 2000年5月6日︶は、日本の小説家である。
経歴[編集]
富山県東礪波郡高瀬村︵現南砺市高瀬︶出身。大谷大学哲学科で鈴木大拙に師事[1]。 戦前は一時期プロレタリア文化運動にかかわったが、その後︿転向﹀し、1939年の作品﹁稲熱病﹂︵いもち︶が芥川賞候補作となる。戦時下には日本文学報国会の小説部会の幹事として、全国を講演したりもした。 戦後は富山市に在住。戦時下の行動を自己批判し、社会変革の運動にかかわりながら文学活動をつづける。1949年の児童文学作品、﹁空気のなくなる日﹂は映画化やその後も教材として長く読まれた。1950年代には﹃人民文学﹄にも作品を発表した。この時期には、日本共産党公認で富山県第2区から衆議院議員総選挙に立候補したこともある。 1965年の日本民主主義文学同盟創立に参加、その後は﹃民主文学﹄を中心に晩年まで創作活動を続け、また同盟富山支部を創設、後進を育てた。1984年、北日本新聞文化賞受賞。 娘婿は歌手の梅原司平である。脚注[編集]
参考文献[編集]
著書の紹介文