岩元禄
岩元禄 | |
---|---|
生誕 |
1893年(明治26年)5月23日 日本 鹿児島県鹿児島市 |
死没 | 1922年12月24日(29歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 | 建築家 |
建築物 | 京都中央電話局西陣分局 |
岩元 禄︵いわもと ろく 1893年5月23日- 1922年12月24日︶は日本の大正期の建築家。歴史主義から離れ、斬新なデザインの作品を設計し、建築を創造として捉えた姿勢は同世代、次世代の建築家に影響を与えた。建築家、建築教育者として将来を嘱望されていたが、病気のため早世した。
西陣電話局を設計し、逓信省営繕の中核をなす設計者の一人であった。夭折のため作品数は少ない。
旧京都中央電話局西陣分局
現況欄の○は現存、✕は現存せず
経歴[編集]
1893年︵明治26年︶、鹿児島に出生。幼少時に父が死去し、兄・岩元禎が一高教師となったのに伴い、上京。青山小学校、府立一中、一高を経て、1915年︵大正4年︶東京帝国大学工科大学建築学科に入学。1918年に卒業し、逓信省に入った。1920年逓信技師就任、経理局営繕課に勤務。 絵画、彫刻、音楽と多趣味であり、建築の芸術性を追求した。1921年に竣工した京都中央電話局西陣分局は、裸婦像をモチーフにした独創的なデザインで、岩元の代表作である。 1921年1月、東京帝国大学助教授︵建築意匠論︶に就任し建築学第一講座を担当したが、同年秋に結核を発病。療養生活に入り、翌年死去。享年30。作品[編集]
建築物名 | 現況 | 年 | 所在地 | 指定 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
(現・NTT西陣別館) |
京都中央電話局西陣分局1921年(大正10年) | 京都市上京区 | 重要文化財 | ||
浪花電話局 | 1921年(大正10年) | ||||
東京中央電話局青山分局 | 1922年(大正11年) | 東京都港区 | |||
箱根観光旅館 | 1927年(昭和2年) | 神奈川県箱根町 |