岩崎宗茂助
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岩崎 宗茂助︵いわさき そもすけ、1865年5月6日︵慶応元年4月12日[1]︶- 1941年︵昭和16年︶2月23日[2]︶は、明治から昭和前期の医師・政治家・実業家。衆議院議員︵1期︶。
経歴[編集]
日向国諸県郡志布志郷野井倉村[3]︵鹿児島県諸県郡野井倉村、南諸県郡野井倉村、志布志村、西志布志村、曽於郡西志布志村、有明町[3][4]を経て現志布志市有明町野井倉︶で、岩崎宗之助、ケサヨの長男として生まれる[5]。都城の坂本陽斉から漢方医学を学び[4]、東京医学専門学校済生学舎で学ぶ[2][5]。1885年︵明治18年︶第6師団に衛生兵として入隊[4]。1891年︵明治24年︶に帰郷し志布志村で医師を開業する[2][3][4]。日清戦争に衛生兵として出征し[4]、日露戦争にも従軍し陸軍三等軍医となる[2][4][5]。 囎唹郡医師会長、鹿児島県産業組合連合会理事、志布志漁業、志布志醸造各 (株) 社長、志布志無尽、志布志倉庫運送各 (株) 取締役を歴任する[2][5]。 政界では、志布志村会議員、郡会議員、同副議長を務め[4]、1915年︵大正4年︶鹿児島県会議員に選出された[3][5]。1920年︵大正9年︶第14回衆議院議員総選挙において鹿児島7区から立憲政友会公認で立候補して当選し[6]。衆議院議員を1期務めた[2]。1924年︵大正13年︶の第15回総選挙には立候補しなかった。 1932年︵昭和7年︶西志布志村会議員[注釈 1]に推されて当選し、志布志実科高等女学校の県立移管︵志布志高等女学校、現鹿児島県立志布志高等学校︶、野井倉開田に尽力した[4]。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『郷土人系 上』115頁では町会議員としているが、有明町の町制施行は1958年。