嵯峨本
嵯峨本︵さがぼん︶とは、日本の近世初期に行われた古活字本である。慶長年間の後半、本阿弥光悦およびその門流が京都の嵯峨で出版した書物を指す[1]。﹁光悦本﹂とも呼ばれるが[1]、光悦の関与を疑問視する意見もある[2]。角倉素庵が出版に関与したことから﹁角倉本﹂とも呼ばれる[1]。
概要[編集]
16世紀末にキリシタン版や朝鮮半島を通じて活版印刷術が伝わったことに刺激を受けて、日本でも次第に出版が盛んになってゆくが、その最初期のものの一つが嵯峨本である。当時の京都には富を蓄積した商人、五山版以来の職人、読者層が存在していたことが嵯峨本が生まれた背景である。藤原惺窩ら儒学者とも交友を持った角倉素庵︵了以の子︶が出版業を思い立ち、本阿弥光悦、俵屋宗達らの協力で出版したものが嵯峨本といわれる古活字本である。[要出典] 嵯峨本は、日本の出版史上最も美しい書物とされ[1]、文字の流麗さと表紙や料紙に刷られた雲母模様が大きな特徴である[1]。漢文の書物が中心だった時代において、挿絵入り平仮名交じり本で刊行された[1][3]。嵯峨本は一部の知識人が読むものだった古典文学を幅広い人々に開放し[3][4]、仮名交じり本の出版を隆盛に導き[4]、挿絵本の嚆矢として絵本作家の誕生を促すなど[4]、日本文化に大きな役割を果たした。嵯峨本によって読者人口が増えたことで、近世文学が大きく飛躍した[1]。 内容は古典文学が主で﹃伊勢物語﹄[1]﹃徒然草﹄[5]﹃方丈記﹄[1]のほか、謡本が残されている[1]。なお、﹃源氏物語﹄の嵯峨本と伝えられるものは、嵯峨本とするには疑問があるため、﹃伝嵯峨本源氏物語﹄と呼ばれている。木活字[編集]
嵯峨本の文字体は光悦風で[1]、活字は1文字を基本としながらも、2字・3字・4字といった連続した活字を作り[1]、それらの組み合わせによって刷られた[1]。﹃伊勢物語﹄では約2100個の活字が作られ、加えて1度しか使わない活字が全体の16%にも及ぶなど[5]制作に手間がかかった。繰り返し版を重ねるには木版印刷の方が容易であることから、やがて木活字は衰え、日本の印刷の歴史は活字印刷から木版印刷に逆行するような形となった。関連本[編集]
●辻邦生﹃嵯峨野名月記﹄ - 嵯峨本をテーマにした小説注釈[編集]
(一)^ abcdefghijklm日本古典文学大辞典編集委員会﹃日本古典文学大辞典第3巻﹄岩波書店、1984年10月、36頁。 (二)^ 小秋元段﹃嵯峨本とその前史の一相貌﹄法政大学文学部、2021年3月15日。doi:10.15002/00024065。2021年10月29日閲覧。 (三)^ ab“将軍のアーカイブズ - 6. 伊勢物語︵嵯峨本︶ ‥ 国立公文書館”. www.archives.go.jp. 2021年10月29日閲覧。 (四)^ abc岡本勝, 雲英末雄編﹃新版近世文学研究事典﹄おうふう、2006年2月、1頁。 (五)^ abNIKKEI ART REVIEW ﹁嵯峨本﹂の謎、活字を芸術にする ﹃日本経済新聞﹄ 2011年3月10日付朝刊 p.33出典[編集]
- 『文字のデザイン・書体のフシギ』: ISBN 978-4903500072
- 『活字印刷の文化史』: ISBN 978-4585032182