川勝広土
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川勝広土 | |
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時代 | 江戸時代中期 - 江戸時代後期 |
生誕 | 安永元年(1772年) |
死没 | 不明 |
別名 | 勘九郎(通称) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 |
父:根岸定用、母:根岸定寧の娘 養父:川勝広峯 |
兄弟 | 広土 |
妻 | 正室:川勝隆安の娘 |
子 | 広昌 |
川勝 広土︵かわかつ ひろくに︶は、江戸時代中期から後期の旗本。広恒流川勝家の7代当主。﹃寛政重修諸家譜﹄編纂時の当主。定紋は五七桐。
生涯[編集]
安永元年︵1772年︶、根岸定用の三男として江戸に生まれ、後に川勝広峯の養子となった。寛政6年︵1794年︶4月24日、義父広峯の隠居により23歳で家督︵武蔵・下総・常陸内550石︶を継ぎ、小普請となった。同年6月13日、初めて将軍徳川家斉に謁見した。 寛政11年︵1799年︶時点で年齢は28歳、役職は小普請︵溝口十番︶。屋敷は四谷内藤宿内藤大和守上地内500坪、当分赤坂築地近藤五左衛門方住居。没年不詳。次に家督を継いだ人物については不詳。参考文献[編集]
●﹃寛政重修諸家譜︵第18︶新訂﹄続群書類従完成会、1981年 ●石井良助監修、小川恭一編著﹃江戸幕府旗本人名事典︵第1巻︶﹄原書房、1989年
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