市川左團次
市川 左団次︵いちかわ さだんじ、旧字体‥市川 左團次󠄁︶は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高島屋。定紋は三升に左︵みますに ひだり︶で、替紋は松皮菱に鬼鳶︵まつかわびしに おにづた︶だが、代々の左団次は通常替紋の方を使用している。初代と二代目は明治座の座元もつとめた[1]。
この市川左団次とは系統の異なる3名の市川左団次が江戸時代中期から後期にかけて存在したことが知られているが、その出自や活動時期については不明な点が甚だ多く、代々の市川左団次からは古くから除外されている。
市川左団次代々[編集]
●初代 市川左団次 ●七代目市川團十郞の門人、1842–1904。実父は大坂歌舞伎の結髪師・中村清吉。明治座を買収。 ●市川辰蔵 → 初代市川小米 → 初代市川升若 → 初代市川左團次 ●二代目 市川左団次 ●初代の長男、1880–1940。自由劇場を始める。 ●初代市川ぼたん → 二代目市川小米 → 二代目市川莚升 → 二代目市川升若 → 二代目市川左団次 ●三代目 市川左団次 ●六代目市川門之助の養子、実父は日本橋浜町の料亭主、九代目市川團十郞の門人、1898–1969。 ●四代目市川男寅︵瀧野屋︶→ 四代目市川男女蔵︵瀧野屋︶→ 三代目市川左団次 ●四代目 市川左団次 ●三代目の長男、1940–2023。本人によると実父は三代目左団次の贔屓筋だという。 ●五代目市川男寅︵瀧野屋︶→ 五代目市川男女蔵︵瀧野屋︶→ 四代目市川左団次委細不明の市川左団次[編集]
●市川左団次 ●出自不詳、二代目市川海老蔵の門弟、生没年不詳。 ●袖岡菊太郎 → 袖崎菊太郎 → 市川左団次 ●市川左団次 ●出自不詳、七代目市川團十郞の門弟、生没年不詳。 ●市川三吉 → 市川左団次 ●市川左団次 ●四代目市川小団次の養子、七代目市川團十郞の門弟、のち上記市川左団次の門弟、生没年不詳。 ●市川小米 → 市川左団次- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、117頁。