市川段四郎 (3代目)
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三代目 | |
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屋号 | 澤瀉屋 |
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定紋 | 八重澤瀉 (替紋) |
生年月日 | 1908年10月5日 |
没年月日 | 1963年11月18日(55歳没) |
本名 | 喜熨斗 政則 |
襲名歴 | 1. 二代目市川團子 2. 三代目市川段四郎 |
出身地 | 東京市浅草区 |
父 | 二代目市川猿之助(初代猿翁) |
兄弟 | 初代市川三四助 |
妻 | 高杉早苗 |
子 | 二代目市川猿翁 市川靖子 四代目市川段四郎 |
三代目 市川 段四郎︵いちかわ だんしろう、1908年︵明治41年︶10月5日 - 1963年︵昭和38年︶11月18日︶は大正から昭和期の歌舞伎役者。本名は喜熨斗 政則[1]︵きのし まさのり︶。屋号は澤瀉屋[1]。定紋は三升の中に段の字、替紋は八重澤瀉。東京市浅草区生まれ。
市川段四郎
年譜[編集]
●二代目市川猿之助の長男として生まれる。 ●1913年︵大正2年︶10月 東京劇場で二代目市川團子を襲名して初舞台。 ●立教中学校を卒業[1]。 ●1930年︵昭和5年︶10月 歌舞伎座歌舞伎十八番之内﹃鎌髭﹄の小藤太守郷で三代目市川段四郎を襲名。 ●1961年︵昭和36年︶ 東宝専属となる。 ●1962年︵昭和37年︶ この年に病に倒れる。 ●1963年︵昭和38年︶5月、長男が三代目市川猿之助を襲名。6月、父・猿翁が死去。11月18日、死去。墓所は台東区寛永寺。人物[編集]
猿之助一座で幹部として活躍したが病に倒れ、長男が三代目市川猿之助を襲名するのを見届けると、父の初代市川猿翁の後を追うようにして死去した[2]。 趣味は音楽[1]。住所は東京市京橋区︵現・東京都中央区︶明石町[1]。家族[編集]
夫人は女優の高杉早苗で、その間に2男1女。長男が二代目市川猿翁、次男が四代目市川段四郎。長女は市川靖子、その元夫は俳優の川合伸旺[3]。主な出演[編集]
歌舞伎以外の舞台[編集]
- 放浪記(1961年・1962年) - 福地貢 役
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcde﹃大衆人事録 第14版 東京篇﹄112頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年5月23日閲覧。
(二)^ “平成24年新橋演舞場﹁六月大歌舞伎﹂~初代猿翁・三代目段四郎五十回忌追善、二代目猿翁・四代目猿之助・九代目中車襲名披露、五代目團子初舞台”. 歌舞伎美人 (2011年10月12日). 2020年12月19日閲覧。
(三)^ ﹃﹁奥さんこんにちは第93回 川合伸旺夫人 市川靖子さん﹂週刊平凡 18巻17号﹄1976年4月、108-113頁。
参考文献[編集]
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。