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広島県立松永高等学校︵ひろしまけんりつ まつなが こうとうがっこう︶は、広島県福山市神村町に所在する県立の高等学校。
歴史
1921年︵大正11年︶創立の高等女学校を前身とする。1948年︵昭和23年︶の学制改革により、新制高等学校となる。全日制・定時制ともに普通科の高校であったが、全日制は総合選抜の廃止とともに1998年︵平成10年︶に総合学科が設置され普通科は2000年︵平成12年︶に廃止された︵定時制はいまだに普通科である︶。2016年︵平成28年︶に創立95周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 総合学科4系列︵人文国際・自然科学・教養・就職教養︶
定時制課程 普通科
校訓
﹁真・善・美﹂
校章
3方向にのびる松葉の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に﹁高﹂の文字を置いている。
校歌
作詞は木下夕爾、作曲は岡田忠彦による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
●1921年︵大正10年︶4月 - ﹁広島県沼隈郡立実科高等女学校﹂として開校。
●1923年︵大正12年︶- 県立移管により﹁広島県立松永高等女学校﹂に改称。
●1946年︵昭和21年︶4月 - 修業年限が5年に改められる。
●1947年︵昭和22年︶4月 - 学制改革︵六・三制︶が行われる。
●高等女学校としての募集を停止。
●新制中学校を併設し︵以下・併設中学校︶、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
●併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
●高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として在籍︵ただし4年修了時点で卒業することもできた︶。
●1948年︵昭和23年︶
●5月 - 学制改革により高等女学校が廃止され、新制高等学校﹁広島県松永高等学校﹂が発足。定時制課程︵昼間︶を設置。この時点では女子校。
●高等女学校卒業者︵5年修了者︶を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者︵3年修了者︶を新制高校1年生として収容。
●併設中学校が1946年︵昭和21年︶に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
●9月 - 定時制の済美分校および水呑︵みのみ︶分校を設置。
●1949年︵昭和24年︶
●3月 - 併設中学校を廃止。
●4月 - 高校三原則に基づく公立高等学校再編により総合制の高等学校︵男女共学︶となる。水呑分校を広島県福山東高等学校に移管。
●1950年︵昭和25年︶- 運動場を拡張。定時制中心校︵昼間︶の募集を停止し、夜間定時制に切り替える。
●1952年︵昭和27年︶- 新校舎︵本館︶が完成。
●1953年︵昭和28年︶- 理科・家庭科棟が完成。
●1955年︵昭和30年︶4月 - 済美分校の募集を停止。
●1958年︵昭和33年︶3月 - 済美分校を廃止。
●1962年︵昭和37年︶- 現在地に新校舎が完成し移転を完了。
●1968年︵昭和43年︶10月1日 - ﹁広島県立松永高等学校﹂︵現在地︶に改称︵県の後に﹁立﹂が付される︶。
●1970年︵昭和45年︶- 4号館が完成。
●1972年︵昭和47年︶- 5号館が完成。
●1974年︵昭和49年︶- プールが完成。
●1976年︵昭和51年︶- 第9学区総合選抜制︵市内5校[1]︶を導入。
●1978年︵昭和53年︶- 新グラウンドが完成。
●1979年︵昭和54年︶- 体育館が完成。
●1984年︵昭和59年︶- 3号館が完成。
●1985年︵昭和60年︶- 1・2号館が完成。
●1987年︵昭和62年︶4月 - 第9学区が東西に分けられたため、第9西部学区に属することとなり、市内3校[2]で総合選抜を実施。
●1998年︵平成10年︶4月 - 総合選抜が廃止され、単独選抜となる。全日制普通科の募集を停止し、総合学科を設置。
●1999年︵平成11年︶- 6号館が完成。
●2000年︵平成12年︶3月 - 全日制普通科を廃止。
●2005年︵平成17年︶- プールを解体。
●2011年︵平成23年︶- 創立90周年記念式典を挙行。
著名な出身者[編集]
●寺岡呼人︵ミュージシャン、音楽プロデューサー︶
●高橋真一郎︵元プロサッカー選手、サッカー指導者︶
●上村健一︵元プロサッカー選手︶
●緒川たまき︵女優・モデル︶
●山本優弥︵キックボクサー︶
●崎谷健次郎︵シンガーソングライター、音楽プロデューサー︶
●吉岡稔記︵D1ドライバー︶
●小波︵プロレスラー︶
●JR西日本 山陽本線 ﹁松永駅﹂北口より徒歩15分。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]