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徐福ノ宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徐福ノ宮
所在地 三重県熊野市波田須町
位置 北緯33度54分45.3秒 東経136度8分30.5秒 / 北緯33.912583度 東経136.141806度 / 33.912583; 136.141806 (徐福ノ宮)座標: 北緯33度54分45.3秒 東経136度8分30.5秒 / 北緯33.912583度 東経136.141806度 / 33.912583; 136.141806 (徐福ノ宮)
主祭神 徐福[1]
稲倉魂命[2]
創建 不詳
再興:1957年(昭和32年)4月
別名 徐福の宮
例祭 11月5日[2]
地図
徐福ノ宮の位置(三重県内)
徐福ノ宮

徐福ノ宮

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195732[2]

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[1][4]2[5]

殿[6][1]

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71064[7][8]

190740622[9][2][10]

1957324[11][ 1][12]

1960[13]20021411[13][14]

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20[14][15][14][10]
徐福の一行は数十艘で出航したが、途中で台風に遭い、徐福を乗せた船だけが波田須に流れ着いた。当時の波田須には3軒しか家がなかったが、この3軒は徐福らの世話を行った。当地に上陸した徐福は中国への帰国を諦め、「秦」に由来する「ハタ」と読む(波田、羽田、畑など)を名乗り、を作り焼き物の作り方を村人に教えた。さらに土木事業農耕捕鯨医薬品製鉄など、この地域になかった文明を次々と伝授した。このため住民は、徐福をとして崇めた。

祭礼[編集]


115[6][6]

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JR4231120[14]
3[14]

JR150.9km[16]

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注釈
  1. ^ 『熊野市史 下巻』288 - 290ページでは、この時稲荷神社の祭神・稲倉魂命も分祀したと説明するが、同書の846ページでは稲荷神は分祀の対象とはならなかったと互いに矛盾した解説をしている[8]
出典


(一)^ abcd  1983, p. 845.

(二)^ abcd  1983, pp. 289290.

(三)^   1983, p. 869.

(四)^   1983, pp. 845846.

(五)^   1983, p. 290, 845.

(六)^ abc  1983, p. 289.

(七)^   1983, p. 845, 890.

(八)^ ab  1983, p. 846.

(九)^   1983, p. 288, 845-846.

(十)^ ab (201298). . . 2017892017810

(11)^   1983, p. 288, 845.

(12)^   1983, p. 290.

(13)^ abc 20051723

(14)^ abcde.  . 201782201782

(15)^   .   (201718). 201719201789 Internet Archive201719

(16)^ JTB西  2017, p. 114.

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、1983年6月8日、1643頁。 全国書誌番号:83035644
  • 熊野市史編纂委員会 編 編『熊野市史 下巻』熊野市、1983年3月31日、1308頁。 全国書誌番号:88024262
  • JTBパブリッシング西日本支社 編 編『るるぶ伊勢志摩'18』JTBパブリッシング〈るるぶ情報誌 近畿② 通巻5133号〉、2017年4月1日、155頁。ISBN 978-4-533-11768-8 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]