折鶴
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折鶴︵おりづる、折り鶴︶は、正方形の紙を折って鶴に似せた形に作るもので、折り紙の一種。最もポピュラーな作品のひとつであり、折り方も簡単なため多くの世代に知られている。初心者向けの折り紙本の多くには作り方が掲載されている。
1枚の紙に切り込みを入れて、多数の折鶴を完全に切り離さずにくっついた状態で折る﹁連鶴﹂や、単体の折鶴を多数折って繋げていく﹁千羽鶴﹂などもある。他に尻尾を引っ張ることで羽を動かすものもある。また、折り終えた際に鶴の下部に息を吹き込むことで、胴体部分を膨らませることができる。
広島の七夕や仙台七夕などでは、七夕飾りの一つとして折り鶴を用いる。
﹃秘伝千羽鶴折形﹄より﹁昔男﹂
折鶴が文献に現れるのは江戸時代であり、井原西鶴の1682年に出版された﹃好色一代男﹄の中で、主人公の世之介が﹁比翼の鳥のかたち﹂をした﹁をり居︵おりすえ︶﹂をつくるという記述がある[1]。ただし﹃好色一代男﹄では図や絵がなく文章のみで書かれているため、﹁比翼の鳥﹂の折り紙がどのようなものなのかは定かではない。はっきりと折鶴が描かれるのは1700年に出版された﹃當流七寶 常盤ひいなかた﹄である。そのひいなかたの中の121番﹁落葉に折鶴﹂の項に、着物の模様として折鶴が描かれている[2]。
その後、折鶴を発展させた連鶴が誕生した。明確な形で連鶴が記載されているのは1797年に京都で出版された﹃秘伝千羽鶴折形﹄である。しかし1800年前後の複数の錦絵︵浮世絵︶には連鶴と思しき連なった鶴が描かれており、﹃秘伝千羽鶴折形﹄以前から連鶴が存在していたと考えられている[2]。具体的には、少なくとも18世紀後半には江戸で連鶴が折られていたと考えられる[3]。
﹃秘伝千羽鶴折形﹄はその後その存在が忘れ去られていたが、1957年に吉澤章が国際折紙研究会の機関紙﹁O・T通信﹂で発表し、更に同年の﹃週刊朝日﹄の書評欄で紹介されたことにより、一般の人にも広く知られることとなった[3]。
折り鶴を1000羽作り、糸で束ねたものを千羽鶴という。現在折り鶴や特にこの千羽鶴を、幸福祈願、災害慰安、病気快癒・長寿などの願いをこめて、寺社に贈ったり、被災者や入院患者へ贈ったりする習慣がある[4][5]。この理由の一つには﹁鶴は千年、亀は万年﹂という慣用句があることがあげられる。
歴史[編集]
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神社に奉納された千羽鶴
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同
平和への祈り[編集]
2022年、NPT再検討会議にて。岸田文雄首相︵当時︶は折鶴を手 に平和を訴えた。 また広島市への原子爆弾投下により被爆し、後に白血病で死亡した佐々木禎子が、生前に病気の恢復を祈って折り鶴を折り続けたというエピソードも広く知られている。佐々木禎子のエピソードや千羽鶴・折り鶴はカルル・ブルックナーの"Sadako will leben"︵サダコは生きる︶やエレノア・コアの"Sadako and the Thousand Paper Cranes"︵サダコと千羽鶴︶によって広く英語圏にも知られることとなった[6]。そのため千羽鶴は世界平和の象徴としてとらえられ、広島平和記念公園などに供えられている。また広島平和記念資料館には2016年に同地を訪問したアメリカのバラク・オバマ大統領が自ら折って持参した折り鶴がメッセージとともに展示されている。2017年には同大統領から長崎市にも折り鶴が贈られた。長崎の爆心地を中心に作られた平和公園には﹁折鶴の塔﹂がある。折鶴の折り方[編集]
●折り鶴の折り方(1) 正方基本形から始める。 -
(2) 左右手前の一枚と上部に折り筋をつけて
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(3) 花弁折り。
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(4) 花弁折りした形。反対側も同様に花弁折りする。
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(5) 手前の一枚を中心線へ向けて折る。
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(6) 反対側も同様に。
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(7) 両側を中割り折り。
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(8) 頭を中割り折り。羽を広げて
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(9) 完成。
色々な折り鶴[編集]
連鶴[編集]
連鶴︵れんづる、れんかく︶は、折り紙の一種で、一枚の紙からつくられる数羽の連続した折鶴のこと。紙に切込みを入れて折る。折鶴同士のつなぎ目に負荷がかかり破けやすいため、折るには薄い和紙などが適している[3]。連鶴という用語は、おそらく1990年代ごろから広まった[3]。﹃秘伝千羽鶴折形﹄の名称からもわかるように、かつては連鶴のことを﹁千羽鶴﹂とよんでいた[3]。
江戸時代の1797年に刊行された﹃秘伝千羽鶴折形︵ひでんせんばづるおりかた︶﹄では、49種類の連鶴の折り方が絵入りで書かれている。この書物は、現存する世界で最も古い遊技折り紙の書物であり、伊勢国桑名の長円寺11世住職、義道一円︵ぎどういちえん、1762年 - 1834年、漢詩を書く際の号は魯縞庵︵ろこうあん︶︶によって作られた。この折りかたは現在でも﹁桑名の千羽鶴﹂として知られ、桑名市の無形文化財に指定されている。﹃秘伝千羽鶴折形﹄は吉澤章によって1957年に紹介され、広く知られることとなった。