春風亭勢朝
Shunpûtei Seichô | |
中陰光琳蔦(画像は中陰蔦)は、林家彦六一門の定紋である。 | |
本名 | |
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別名 | おしゃべりの勢朝 楽屋真打 |
生年月日 | 1962年8月8日(61歳) |
出身地 | 日本・群馬県 |
師匠 | 五代目春風亭柳朝 春風亭小朝 |
出囃子 | 野球拳 菊寿の草摺 |
活動期間 | 1979年 - |
所属 | 落語協会 |
受賞歴 | |
第六回林家彦六賞(2001年) | |
春風亭 勢朝︵しゅんぷうてい せいちょう、1962年8月8日 - ︶は、群馬県伊勢崎市出身の落語家。落語協会所属。本名∶高橋 俊人。出囃子は﹃野球拳﹄または﹃菊寿の草摺﹄。
経歴[編集]
1979年8月、五代目春風亭柳朝に入門。﹁勢朝﹂を名乗る。﹁俺になにかあったら小朝門下に預ける﹂という条件付きでの入門となった。 1984年5月に柳家さん好と共に二ツ目昇進。1991年2月に師匠柳朝が死去したため弟弟子春風亭茶々丸と共に、当初の約束通り兄弟子春風亭小朝一門に移籍した。 1996年3月に、いなせ家半七︵茶々丸改め︶、三遊亭窓里、林家とんでん平、柳家さん福、二代目橘家蔵之助、柳家福治、三遊亭らん丈、橘家仲蔵と共に真打昇進。2001年、第六回林家彦六賞受賞。人物[編集]
落語家のゴシップをネタにした﹁楽屋噺﹂を得意とすることから、﹁おしゃべりの勢朝﹂、﹁楽屋真打﹂[1]、また打ち上げの方が面白いとして﹁打ち上げ上手﹂などと称されている[2]。芸歴[編集]
●1979年8月五代目春風亭柳朝に入門、前座名﹁勢朝﹂。 ●1984年3月 - 二ツ目昇進。 ●1991年 - 五代目柳朝死去に伴い兄弟子春風亭小朝門下へ移籍。 ●1996年 - 真打昇進。名前について[編集]
勢朝の名は、古くは三遊亭勢朝︵後の三遊一朝、三遊亭圓鶴兄弟︶の他、上方には桂勢朝がいる。後記の桂勢朝とは同期である。脚注[編集]
- ^ “春一番 ぶっちぎり落語三人衆 2002年3月24日(日)”. コトニ・ネット. 2016年11月20日閲覧。
- ^ “春風亭勢朝の野次雑言! 2003年10月28日「無我無我無我」”. 春風亭勢朝. 2017年4月17日閲覧。