本多康直
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本多 康直︵ほんだ やすなお、1856年5月15日︹安政3年4月12日︺- 1900年︹明治33年︺1月29日︶は、日本の官僚。日本法律学校︵後の日本大学︶の創設に参画。大審院判事。伊勢神戸藩第7代藩主本多忠寛の次男として江戸で生まれる。のち近江膳所藩主本多康穣の養子。
経歴[編集]
●1874年11月 私費留学生としてドイツへ渡航[1]。ゲッティンゲン大学でドイツの司法制度の研究を行い、ドクトルの学位受領。 ●1882年 三好退蔵のもとで、伊藤博文の憲法調査に従事。 ●1883年2年間の学資の官費支給を認められる。 ●1885年 帰国。 ●1886年 従五位。司法省民事局参事官。法律取調委員として裁判所構成法・民事訴訟法などの調査・起草に従事。 ●1889年10月4日 日本法律学校の創設に参画。 その後、大審院判事に就任。単著書[編集]
- 『民事訴訟法講義』(日本法律学校臨時科外講義、1891年)
脚注[編集]
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、291頁。ISBN 978-4-06-288001-5。