村田基
表示
![]() |
村田 基︵むらた はじめ、1958年1月14日 - ︶は、日本のプロ釣り師︵デモンストレーター︶、シマノおよびデュオ (釣具メーカー)フィールドテスター、YouTuber。潮来つり具センター店長、全国管理釣り場協会会長、霞ヶ浦北浦湖面調整委員会副会長、ウォーターランドインターナショナル代表。
日本のバスフィッシングやトラウトフィッシングなどルアーフィッシングにおける先駆者的存在で、釣り人に﹁王様﹂や﹁ミラクルジム (JIM) ﹂と呼ばれている。
自称﹁日本一忙しい釣具屋のオヤジ﹂。
息子はおさむんの名前で活動している
来歴[編集]
神奈川県川崎市出身で茨城県潮来市在住。釣具店を経営する釣り好きの父の影響で3歳頃から釣りを始めた。ルアーフィッシングは12歳ごろからスタート、サバやハスやワタカなどあらゆるものをターゲットとした。12歳の頃から父の影響で様々な山上湖にヘラぶな釣りに行きそこでトラウトフィッシングやバスフィッシングに出会う。それ以降ルアーフィッシングに熱中し、15歳のころには海釣りに興味が出始め、防波堤から乗合船などまで様々な条件下で魚を釣っていく。父親の経営する釣具店を手伝う中で、釣り人と釣具について様々な事を学ぶ一方、趣味の分野では、 1980年に富士スピードウェイのジムカーナ・シリーズチャンピオン、1978年~1981年にはディスコのDJ、また、ボウリングもプロ顔負けの腕前であった。 1978年に雑誌﹃つり人﹄にて、釣りに関しての執筆活動を始める。そして1982年に﹃とびだせ!つり仲間﹄でテレビ出演し、1984年には自身のブランドルアーメーカー﹁ウォーターランドインターナショナル﹂を始め、1985年に総合釣り具メーカー﹁シマノ﹂をスポンサーにつけ、水郷オープンやJBTAなどのトーナメントに参加。しかし、自由な場所で自由に釣りができないなど自身のスタイルに合わずトーナメンターとしてのバスプロをやめ、プロデモンストレーターをする傍ら、シマノのアドバイザーとしてタックルの開発に参加。﹃早い釣り、遅い釣り﹄、﹃ナチュラル&アピール﹄や﹃コンパクトなスイングでのシャープなキャスティング﹄、また自身のルーツでもあるヘラブナ釣りから得た﹃シャープなフッキング﹄などを提唱した。その後は、日本全国で釣りの巡回セミナーを始めたり、漫画﹃グランダー武蔵﹄、﹃Mr.釣りどれん﹄、﹃バスボーイQ﹄やゲーム﹃バッシングビート﹄シリーズのキャラクター出演した。 1997年に村田基ファンクラブ︵ウォーターランドクラブ︶が設立され、2010年時点の会員数は全国に2,000名を超えている。 このファンクラブ設立にあたっては、自身のVHSビデオ﹁まちがいだらけのバッシング﹂シリーズ(Vol.1~Vol.4)で共演する釣れない君︵つれないくん・本名‥三野太郎︶が代表を務め、オリジナルグッズの販売や釣り大会等のイベント運営を行っている。 現在は、潮来つり具センター店長でフィッシングタックルのアドバイザーをやりながら世界各国を釣り歩くようになり﹃釣り・ロマンを求めて﹄の出演、出演ビデオ・単行本を多数出版、釣り雑誌への執筆活動を活発に行っている。 琵琶湖でのリリース禁止問題にいち早く行動を起こすが、その努力虚しく、バスが外来種指定されてしまう。この頃から、バスフィッシング人気がやや下火になったこと、スポンサー(シマノ)から表立ったバス釣りの活動を制限されたことなどにより、2001年より行ってきた管理釣り場のイメージアップの活動を本格化させる。魚に優しいゴム製ネットの普及や、管理釣り場でのルアーフィッシングを幅広いファン層に紹介した。また、ネイティブのサーモン、海アメマスにも力を入れており、管釣りと共にネイティブトラウトのタックル開発にも力を注いでいる。 2009年では、世界の巨大魚を釣り歩きながら、ほぼ10年ぶりにバスロッドの開発に携わっている。アドバイザーとして開発に関わっているメーカー[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
現在以下のメーカーのタックル開発に関わっている。自身が開発に関わった製品の一部や特注カラーにはパッケージに『スゲー釣れる!!マル王推薦品』のシールが張られている。
作品[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |